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およげ!たいやきくん

第1964回・この人、この歌

〜子門真人〜

5月下席スタート。
昨日、浅草演芸ホール楽屋でギター漫談のぺぺ桜井先生と出番が近かった。

ぺぺ先生は言う。
「キャバレーは、やりやすかったよ」
耳を疑った。
キャバレーは、やりやすい?
わたしのイメージではキャバレーでの演芸は、実にやりにくい、といふ感じがする。

キャバレーは、やりやすい。
このあとぺぺ先生は続けた。
「腕のある人はね」


そりゃそうだ、腕がなきゃキャバレーはきついでしょう。
腕ない人には拷問に近いのかもしれない。
しかしそれを差し引いてもキャバレーは実は、やりやすかったんですって。

ちゃんと聴くし、よく見てくれる。
大きいキャバレーならそれなりに立場があるお客様の来店も多い。
女の子のてまえもある。
常に紳士でありたい、とか。
様々なことがお客様をそうさせるわけです。

しかし、そりゃざわついているところから始まるは始まる、ただ、腕のある人は自分のペースにもっていき、ものの見事にキャバレーを素晴らしきホールにしてしまうってんだから腕ってのは怖い。

ぺぺ先生のやり方は、「影を慕いて」を本寸法でがっつりフルで大演奏をするそうな。
これはもう五月蝿い場所でも聴き入り、演奏終わりには大喝采だそうな。

一番の先生の自慢を聞いた。
当時のキャバレーは当然生バンドです。
さあ、先生考えた。
どうすれば一気にキャバレーのお客様を自分に向けさせるのか。

で、ここでちょいとキャバレー余談。
当時、キャバレーでは懐メロはあまり受けません。
むしろ嫌がられるそうな。
しかし、お客様は懐メロ世代の社長や専務なのに嫌がられる。
なぜだかわかりますか?
それは女の子やボーイさんにあまり年だと思われたくない、その表れだそうな。だから本当は懐メロヤンヤヤンヤなのにあまりやらないそうな。嫌がられる。

で、一番いいのは若い子もお客様も共通のもの。
その当時、最たるもの世代を超えたのが「影を慕いて」だ。
先輩方は戦前の藤山一郎オリジナルで当然知っている。
そして、ぺぺ先生がキャバレー全盛の昭和四十年代は森進一カバーで当時の女の子たちもわかる。
つまり、お互いが無理しないで酒飲みながら、お互いが特にお客様が恥かかなくて済む、「当時ね、影を慕いて様様だったよ」
とぺぺ先生は振り替える。
だから、懐メロは先輩方の前でもキャバレーは実はダメ。
で、爆発的大ヒット、老若男女「およげ!たいやきくん」の時代がくる。

ぺぺ先生これに目をつけた。
フルバンドでぺぺ先生もギターで大いにキャバレーで、すごい迫力でバンドに譜を配りやってみる。
こりゃ他の方に聞いたら、迫力物のぺぺ先生独壇場だったそうな。

キャバレーで「およげ!たいやきくん」は皮肉で面白いし、実に都会的で洒落ている。

まさか大人の社交場キャバレーでしかもかっこよく、ど迫力でやるもんだから、ヤンヤヤンヤの喝采に。

ただ、流行ってりゃいいわけじゃなく、大人が納得する作品であったから大喝采なわけです。

これがぺぺ先生のセンスと力量の凄まじさなわけです。
「寄席で先生がおやりになる高座、キャバレーでやりましたか?」
「やるわけないよ。絶対に受けない」

場所場所で芸は変わるんです。

およげ!たいやきくんのそのステージのオチは、ど迫力で真面目にやったあと、植木さんのパターン。
バンド演奏が終わってもぺぺ先生がまた「毎日、毎日〜」とやり、オチ。
お客様ドカーンと受けてスマートにおりる。

寄席でのぺぺ先生の「さよなら」といってすっと引っ込むあのスタイルはキャバレー仕込みなわけです。

キャバレー時代の面影は、たまに高座でおやりになる「影を慕いて」で感じられます。

このおよげ!たいやきくんのキャバレーのステージは、実は私、こんなこと、キャバレーでやってたんだ、と以前聞いたことが脇からあったんです。
ただ、驚いたのは、このキャバレーでお決まりのパターンをこさえたのは実はぺぺ先生だったといふ事実。
「これ俺やってね、1ヶ月もしないうちにキャバレーといふキャバレー、ほかの人、みんな真似してたよ。」

ぺぺ先生もすごいけど、「およげ!たいやきくん」が当時、いかに国民的に皆に浸透していたか、です。

良い洒落ですもの、キャバレーでできちゃう。

いま、こういう歌がまたあるといいなー。

「およげ!たいやきくん」歌唱・子門真人であります。
2017.05.23 Tuesday | comments(0) | trackbacks(0)-

さすらいのブルース

第1963回・この人、この歌

〜轟夕起子〜

5月下席スタートいたしました。
浅草演芸ホール夜席に出演しております。
基本の上がり時間は夕方4時50分ですが、以下ご参考の上、ご来場くださいませ。

5月21日・夜8時上がり
5月22日、23日・夕方4時50分上がり

5月24日・休み

5月25日・夕方4時50分上がり

5月26日・夕方5時15分上がり

5月27日、28日・休み
5月29日、30日・夕方4時50分上がり

寄席の昼席と夜席とでは出演者の心持ち、ずいぶん違います。

やっぱり夜席は、さすらいがある。
そして哀愁深い。

例えば今日の仕事が寄席一軒で、夜席となると、ずっと家にいて、あたりが暗くなってきたら寄席に向かう。
泥棒だね、まるで笑

あたりが暗くなってから、外に出て、寄席の十数分の高座をやりに行くその状態になぜか哀愁深いのだ。

でもそんなちょいと寂しい気分になったときに同時に「あゝ、寄席芸人なんだな、これが…」と嬉しくもなる。
我々寄席芸人は、その芝居に入るとその期間を「寄席出勤」といふ。

「出勤」って言葉を使うのは、この世界では基本、寄席だけかと思います。

我々芸人は毎日違う現場に行きますから、不定の時間の現場が毎日ございます。
しかし、芸人には珍しく寄席だけは毎日同じ時間に行きますから、「寄席出勤」なんて言葉が戦後出来たんだと思います。

こどものころ、寄席出勤する寄席芸人さんをよく見た。
我が実家から浅草寿町行のバスが出ています。
よく漫才のふじゆきえはなこ先生が乗ってきたっけな。
勝手な想像で多分この人たちは浅草演芸ホールにこれから出演のため、このバスで行くのだろう、と思ったものです。

こどものころ、ポケット雑誌みたいな、豆本とでもいふのか、小さな本があり、タイトルは「落語」。

表紙は先代の蝶花楼馬楽師匠。
落語家の1日が書いてあって、馬楽師匠が着物で寄席に出勤する過程写真が都度出ている。
中井の駅でホームに着物で佇む馬楽師匠。

その写真の過程から、夜席の浅草演芸ホールに行くのがわかるんだから、俺も落語通だな笑

その写真には、哀愁と寂しさとそれと並ぶくらい格好がいい馬楽師匠がいた。

わたしは先代馬楽師匠を生で聴いているようだが、残念ながら記憶がない…。

昭和六十年ってんだから、わたしが小学二年のときに新宿末廣亭に四代桂三木助真打昇進襲名披露興行をみに行っている。
でも小さん師匠と三木助師匠はそのときの記憶としてうっすらある。
何故なら、なんだかいろいろなものを高座に飾りずいぶん派手なんだなあーと記憶にあるんですよ。
ただ、馬楽師匠、絶対聴いているのに残念だ…

やっぱりわたしのちゃんとした記憶は、昭和62年の小学四年生からの寄席の記憶。
先代助六、先代山陽、小南、洋一初江、女楽、千代若千代菊、Wけんじ、キャンデーボーイズ、先代小勝、早野凡平、貞丈、三亀松、アダチ龍一、えつやひでや、ザ・ローカル、南けんじ、染之助染太郎、コロムビアトップ、好江桂子、先代正楽、桜井長一郎、先代猫八、仙寿郎、利二郎、先代志ん馬、等々
やっぱりこどもの頃の記憶はどうしても色物が多い。
だからこういう思い出がある、寄席にいかに色物が大切か、です。
落語ばっかりが良い、なんて言うのはちょっと苦手笑。
こどもの頃、上記のような方々は本当に何回も寄席で聴いた、わたしの大切な寄席の思い出です。

だからこそ、先代馬楽師匠の記憶がないのが残念すぎます…。

南けんじ先生なんか凄かったですよ。
この先生、あんまり本席(プログラムにこの芝居の出演者として掲載)ではあまり見ない。
その代わり、代演王だったと思います。
毎日、誰か寄席休むとその代わりに南けんじ先生代演に出てくる、だから本席みたいなもので笑

でまたね、代演南けんじは本当に盛り上がるの。
あ、この先生、漫談の先生。
だってこども心に腹抱えて笑って、浅草演芸ホールでも新宿末廣亭でもワンワン湧くの!笑
たまらない漫談でしたね。
で、本席じゃあまり載らないのがまた萌えました。
でも本当によくお出になっていた先生。

あと、前座さんが、メクリをかえして「Wけんじ」って出た瞬間の浅草演芸ホール昼席、午後3時過ぎ、あの喝采は今も鳥肌です。

この人たち有名なんだろうなー、ってこども心に思いました。

だからこそ、しつこいが…先代馬楽師匠、何故、記憶がないのか…くやしい!笑
音では聴いていますが、あんなに滔々とお話になられる落語家、いかにも新宿末廣亭の夜席、雨の平日に聴きたいんです。

さすらいは寄席芸人の必須アイテムだと思います。

さあ、「さすらいのブルース」歌は、轟夕起子さんです。
2017.05.22 Monday | comments(0) | trackbacks(0)-

異国の丘

第1962回・この人、この歌

〜竹山逸郎・中村耕造〜

昨日ある方と話をしていて、改めて私がなぜ懐かしい唄の数々を好きになったのか、を思い出した。

やはりNHKで平成元年にやりました「昭和の歌ベスト200」だ。

いま思い出してもつくづく素晴らしい番組だったと思う。

あなたが一番好きな昭和の名曲は何ですか?それをベスト200曲は歌い手映像とともにランキングで放送した。計六時間、三回にわけて放送。

昭和から平成への移り変わりでああいう番組がずいぶんあった。

この番組を見なかったら、草野武史、つまりわたしね、懐かしい流行歌の数々を知らぬままに今に至っていたと思います。

平成元年、といえば、例えば70才の方が当時、大正、それ以上は明治の方々。
だからランキングにまだ昭和初期の佐藤千夜子の「東京行進曲」が入っていたり、昭和終わりの曲まで幅広くあった。
まだまだ明治大正生まれの方々がたくさんいらした。ちなみに昭和の歌ベスト200、第一位は「青い山脈」、二位は「影を慕いて」、な、なんと、藤山一郎さんがワンツーフィニッシュって結果、あゝ、藤山一郎、偉大である。
ちなみに「影を慕いて」戦前の歌が第二位、それが平成元年のまだ日本なわけですよ!
わたしがあの番組で印象に残ったこと。
・「九段の母」が塩まさるさんの映像がNHK無かったみたいで美空ひばりさんの映像だったから当時は、ひばり嬢の歌と思っていた。
・「誰か故郷を想わざる」を聴いて本当にいい歌だと思った。霧島さんって歌い手に興味を持った瞬間。

・東海林太郎の「国境の町」や「麦と兵隊」をみたときに、カラーで動く東海林さんを観たい衝動、尋常でなかった。

・紅白歌合戦の映像が多く使用され、昔の紅白に興味をもった。

まだまだたくさんあるがとにかく、カラーの東海林太郎さんを観たり、塩まさるさんの映像を初めて見たのは後にスタートするテレビ東京「なつかしの歌声」の映像をふんだんに使った「昭和歌謡大全集」だ!
初めてみたとき、東海林太郎が普通にカラー映像で動くし、「九段の母」のオリジナル歌手、塩まさるの登場や、また、NHKのあの番組では、「異国の丘」は映画で紹介され、竹山逸郎さんは登場しなく、いったい、竹山逸郎とはどんな人なのか、モヤモヤばかりが募った。そのモヤモヤをテレビ東京の「昭和歌謡大全集」が即解決してくれた笑
とにかく出てくるもの腰が抜けて、先に出る前に抜かしておこうかとおもうくらい笑
竹山逸郎、カラー映像の「異国の丘」を惜しみ無く放送したときには、本当に驚いたんだもん。

もちろん、だから「昭和歌謡大全集」には感謝だが、すべてのきっかけをこさえてくれたNHK「昭和の歌ベスト200」には足向けて寝らんない笑

みなさんもこれだけには足向けて寝らんないってことありますか?

わたしと流行歌、これは大きなこと。
そのきっかけなんだから、大切に大切に。

さて、「異国の丘」、こちらは作曲家吉田正さんの出世作です。
歌唱は竹山逸郎/中村耕造であります。

おやすみなさい〜
2017.05.21 Sunday | comments(0) | trackbacks(0)-

モダン節

第1961回・この人、この歌

〜二村定一〜

時雨音羽作詞、佐々紅華作曲といふ、「君恋し」「神田小唄」など歌手の二村定一とは切れない安定感のメンバー「モダン節」。

モダン、って言葉自体がもはやモダンでないところが、モダンだから好きだ。

流行歌とは、なんたるや、の初期のお手本らしい唄。

今日、熱海市民大学講座で、二村定一さんの唄は、「笑い薬」をかけました。

流行歌の歴史を語る上で、二村定一は必ず出てくるのだ。

今日、熱海市民大学講座の楽屋で、ふと、二村定一の「モダン節」の歌詞に久しぶりに目を通した。

うーん、ここまでモダンを全面的に押し出したモダン節は、誰がなんといおうと(誰もなんとも言わないが)、モダン節であるわけです!

いつでしたかね?昭和四年の作品かと思います。
間違っていたらすみません。とにかくこの唄を聴けば、この時代の近代化とはこういう感じなんだ。唄が歴史風俗を教えてくれます。

とにかく歌詞を追ってその「モダン節」のモダンぶりを歌詞から拾う。

まずいきなり「可愛いマネキン」とある。
これは当時の女性の新しい職業、「マネキンガール」であります。
つまり、本物ね笑

二番には妻が作る「トンカツ料理」とある。
落語でもこのころの噺の音源を聴くとやたらに西洋料理が出てくる。
ちなみに七代正蔵の落語にトンカツがある。
あとやたらにこの頃の落語にはシチューとか、なんだとか…とにかく当時は日本で馴染みがない食べ物をつまりは「西洋料理」としている感じだ笑

料理研究家の先生に伺うと、この時代の新婚ホヤホヤの奥様は若気の至りか?笑、とにかく家庭で西洋料理を作るブームなんです。
いつの時代でも流行をこさえるのはヤングでございます。

唄が「モダン節」ですから、当然、「トンカツ料理」が歌詞に出てくる。

三番。「おさんどん」が出てくる。
おさんどんは、モダンじゃないやね、笑
落語聴いていただいている方にはよくでてくる名前、おさんどん。
つまり、お手伝いさんのこと。
モダン節でおさんどん?
いえいえご心配なく、歌詞には「モダンおさんどんが…」とある。
モダンおさんどん笑
新しいんだか古いんだか笑
おさんどんだって困っちゃう笑
で歌詞にはモダンおさんどんが「髪にウェーブ」とある。
ウェーブ、こりゃ、モダンおさんどん、モダンだ笑
さて、モダンおさんどんの次は四番には「モダン芸者」が出てくる。
モダンつければいい?そういうこといっちゃいけない、私もモダンたけ平とするか…
は、いいとして、さて、「モダン芸者は三味線ひかず畳水練泳いで渡る」
いいなあ、この歌詞笑。

いかにも現代っ子な娘が芸者さんになりました、って伝わる。うん、モダン。

さあ、最後、五番は凄いモダンな単語バンバン出てくる。まず「文化住宅」ね、いい言葉、本当にモダン。そして「空中旅館」だって笑
「飛行機」が出てきて、さあ、わたしが本当に驚いたのは五番の最後の最後、なんてしめると思います?

「ちょいと素敵よテレビジョン」でおわるの。

最初この唄を知ったときはびっくりしましたよ、「テレビジョン」ですよ。
テレビがNHK放送開始が昭和28年。
この唄、昭和四年。
この唄、ちょうどテレビの研究始まってきています。それとりあげちゃうんだから…
これ、どうですか?
モダン節の中のモダン節ですよ。

新しいものって今も出続けていますが、昔の時代のモダンなものってつまり新しいものの誕生って物凄く上品な感じがするんですね、スマートといふか。

いまの時代で「モダン節」をこさえたらどうでしょうか?
ちょいと情に欠ける感じしませんかね?ってわたしだけかしら。

さてさて、今日はこれにて就寝、といふのは、明日は早朝、上野鈴本演芸場で中学生の皆さん貸し切りの学校寄席がありますー。昼席始まる前に。
てなわけでおやすみなさい〜。
2017.05.19 Friday | comments(0) | trackbacks(0)-

老人と子供のポルカ

第1960回・この人、この歌

〜左ト全とひまわりキティーズ〜

お年寄りと子供が元気ってのは果たしてどういうことなのか笑

昔はお年寄りはそれなりにお年寄りであった。そしてわたしのような四十代が一番元気なはずでしてね笑。

とはいえ、個人的にバイタリティーも負けている。
何よりも四十代ならば、働いて当然、昔はもっと働いていた年代、四十代、って時代でありますら、何においても脱帽以外ない。

働き盛りといふけれど働きすぎは禁物でござる。

なぜならなんせ不規則が我々の商売みたいなものだから。
でも老人ホームへ行ったり、学校へ行ったりするとなぜか元気を貰えるんです。

昨日は、午前中、柏、午後が葛飾、そして、夜は北千住。

考えてみりゃ、一度限りの人生、仕事と銘打って、様々なところでいろいろな方に会えるってのは幸せなかぎりです。

柏、青砥、北千住、また微妙に近いのと、なんとなくテリトリーなのがまた安心安心笑

これね、六本木、目黒、三田、なんてえとこちとら尋常でないのだ笑

柏、青砥、北千住…うん、なんか歌でありそうな笑
最後、地元の北千住ってのがまた嬉しいピリオド笑

さて、今日はこれから熱海ですー。

「老人と子供のポルカ」歌唱は、あゝ、なつかしや、左ト全とひまわりキティーズですー。
2017.05.18 Thursday | comments(0) | trackbacks(0)-

お祭りマンボ

第1959回・この人、この歌

〜美空ひばり〜

前回、「たちきり」の話をいたしました。
その続きです。

「たちきり」は、嫌だなあと思ってもやりたくなる噺だと申し上げました。なかなか珍しい噺だと。
とはいえ、似たような心持ちの噺がもうひとつあります。
「ねずみ穴」。

やっぱり、こういうのをやりたくなるのは、なんだかんだで加齢は関係あるんだと思います。

「たちきり」とそういう意味で類似ですが、「ねずみ穴」の場合、大切だなあとわたしが思うことがあります。
それは「緩急」です。
これ、この噺とても大事な上に難しい。

だいたい落語全般、みんな「緩急」が大切ですが、この噺ほど緩急が「根幹」となっている噺も珍しい。

大概の噺は緩急といえば、メリハリをさしますが、この噺はさほどメリハリを必要としないのに緩急が激しい。

どういうことか?
つまり、普通にしゃべっているのに、急に全力疾走しなきゃいけないところがある。

例えば、気温もあたたかくなったり、さむくなったり、季節の変わり目はよくあることです。
これは、落語ではいわゆるメリハリです。

しかし、緩急となると、いくらメリハリとはいえ、昨日が30℃、今日は5℃になるといふ急降下。
一気に突っ走るのが「ねずみ穴」にはある。

普通に話していて、火事の場面、急激なる全力疾走がスタートします。

その突っ走る部分がややあって、徐々にじゃなくてまた急激に普通に戻る。
その落差たるや、メリハリのいきを超えております。
だから「ねずみ穴」ってのはくたびれます笑

では、緩急ではなく、メリハリの代表、わかりやすい例は「愛宕山」。
「愛宕山」って噺はメリハリの王様でしょう。
もちろんくたびれますが、箇所箇所メリハリなる所作が断続的にきますから、こっちも覚悟があるし、また、そのリズムに乗れば、いわゆる落語をやった普通の疲れだけになる。

しかし、「ねずみ穴」ってのは、さほどメリハリがないわりに、急激に突っ走る箇所があるから、こっちも徐々にではなく、急激にエネルギーを要しますから、そのくたびれは「愛宕山」の比ではございません。


まあ、これは落語に限らず日々の暮らしでも同じかと思います。

「愛宕山」のメリハリってのは、仕事が忙しかったり、暇になったり、また忙しかったり…そういうことです。

「ねずみ穴」のメリハリといふのは、急激に忙しかった翌日、無職になり、また翌日、仕事にいきなり復帰した初日急激に忙しくまた翌日、職を失う…
これはメリハリといふ表現では甘すぎる落差であります。
それが「ねずみ穴」の箇所箇所のメリハリ、いや、だから、「緩急」でしょうか。
様々な落語に取り組むと、それなりに全て難しい。
でも本当に難しいのは、前座噺だったりして…笑

だから、落語全体がなかなかに深いのでございます。
「ねずみ穴って噺はね、お祭り騒ぎだよ、一種の」と先輩がおっしゃっていましたが、なるほど〜こんな落差が激しいお祭り騒ぎは、祭りのあとはくたびれますからね笑

そういえば、「お祭りマンボ」ってひばり嬢の歌も急にマイナーになったりしますよね。ハイカツの「加藤部隊歌」もまた同じでしょうか。

さあ、お賑やかにいきましょう、歌唱・美空ひばり「お祭りマンボ」でおやすみなさい〜
2017.05.16 Tuesday | comments(0) | trackbacks(0)-

恋は神代の昔から

第1958回・この人、この歌

〜畠山みどり〜

本日「たちきり」をやりました。
うーん、わたしはあまり好きな噺ではないんですが笑、構成が好きなんです。

ただ、実に難しい噺ですね。
ポイントは果たして何なのか、その落とし所が実に難しいんです。

まず、お線香で花街は時間を計っていたことは、いまは絶対マクラで触れないといけません(本当は野暮ですが笑)。

さて、またこの噺ほど登場人物が演者によりまちまちな噺もないですね。

親戚のみなさんの住まい、置屋の娘、その場所など。

小ゆきは柳橋の「分田上」の置屋の娘です。

「分田上」ってのがいいなあ。つまり今風でいふと「田上」といふ本店があり、そこからのれんわけした店です。昔はのれんわけされたり、支店、チェーン、フランチャイズとなりますと、「分○○」となります。
まあとにかく柳橋の芸者さんですから、イメージとしては、江戸っ子気質そのもので、深川の芸者さんと類似です。

小ゆきにお線香をあげにくる若い娘たちの銭湯でのシーンがいい。
顔をこさえて、つまり、化粧を、ですが、おしゃべりばかりで遅くなっただけで、お化粧にはあまり時間がかからないといふイメージのシーンなんです。

それは、柳橋の芸者さんは昔から薄化粧である、ということを知っていたら、このシーン、合点がいくはずなんです。


あとは、若旦那から小ゆき宛に届いた三味線にあります、で、「比翼の紋」が付いてます。
互いの家の紋がついているのを比翼とはまたいいものです。

この噺、本当は最後笑っております、落語ですから、なんのために線香の話を最初にふったのか…サゲに関係あるからです。
とはいふものの笑えませんよね…わたしも笑えないもの笑
わたしが好きでない理由はこのあたりにあります、はい。

とは言うものの、芸者さんらしいサゲで、サゲはとても素晴らしいです。

あ、サゲってオチのことです。

「たちきり」自体は、苦しい噺ではありますが、落語らしい落語でも実はある。
こんなに雰囲気のある噺ってなかなかない。
雰囲気のもった噺ですよ。
置屋を事細かに描き、また大店の番頭もリアルだ。

落語は芝居ではないが、ドラマであり映画でもある。
何をもって面白いか、といふとそれはわからないし、うわべにはあまり面白くない噺かもしれない。
しかし、「たちきり」は、人間を人間として描く傑作だ。
談志師匠もこういう噺はお嫌いだったかもしれないが、「たちきり」のもつ構成と人々に「落語として素晴らしい傑作」とおっしゃっていた。

確かに私もそう思う。

そして何よりこの噺が落語らしいのは、いまもむかしも変わらない、男女の「恋心」は決して古くないのだ。

日本に昔からあるメロドラマの傑作は必ず男女の「行き違い」を描く。
それを「たちきり」はメロドラマよりも前に既に落語といふ媒体で表しているのです。

で、じゃあ、たけ平よ、お前は、この噺が好きなのか?と、問われれば、うーん、やっぱり苦手だ笑

不思議な噺だと思いませんか?
苦手だと思ったら普通落語家はその噺に手をつけません。
しかし、「たちきり」は、やりたくなるんだから…いかに々柔が優れている⊃祐屬蕕靴に槐修鯤颪澑さず描いているか

ですよ。

苦手だなあ、こういうの…なのにやりたくなる噺、ってなかなかありません。

それだけでも落語家が認める噺の描き方の傑作なわけです。

さあ、考えてみてください。この噺は考えれば考えるほど、深い噺でして…笑
我々本職は考えすぎると疲れてしまいます、この噺。
しかし、やるからには、よーく考えないといけない噺です。

考えるところがたくさんある噺。
例えば、人間らしい本能を描いたのなら、「小ゆき、これから俺はメス猫一匹近づけないからな。」と若旦那言いますが、これ皆様は鵜呑みにしますか?しませんか?
どちらも正解です。

どちらで考えても正しいです。
落語家もそのときの心持ちで変わりますね。
「本当かね?若旦那。」と思うときありますよ。

だって遊び呆けていたわけですよ?今まで。

確かに二人は驚愕の現実ではあるが、喉元過ぎれば…もありうるね、男は特に。
ならば「小ゆき、これから俺はメス猫一匹…」のセリフの言い方、ずいぶん変わってきますからね…

あとはその時、その時で演者がどういう気持ちでやるか、ですよ。

何が正しいとかはありませんから、落語は。

ただ、こういう構成がしっかりしている噺は、そのままお願いしたいですね、演者には。
自分への戒めの言葉です。

若旦那のところの女中のお清、小ゆきのところのお仲、そしてとりまく小ゆきの仲間たち。親戚連中、大旦那、番頭、お母さん…

とにかく様々な登場人物が若き男女の恋心に奔走、翻弄するといふ…

なかなか無い作品です。

この噺は何が言いたいのかな。

時代が変われど、男女の恋は繊細で、壊れたら止まらない、くっついたら意地でも離れない…

いまもむかしも何ら変わらない、大衆の若者をただ描いただけだよ…と。それもまたこの噺がいわんとする一つでもあります。

だから昔の人は言いました…「恋は神代の昔から」歌唱・畠山みどりであります。
2017.05.15 Monday | comments(0) | trackbacks(0)-

岸壁の母

第1957回・この人、この歌

〜菊池章子〜

母の日であります。

米子から羽田へ。
昨日の独演会は本当に大盛況で何よりでした。

昼夜公演で200人以上のお客様がご来場いただきました。

大変に喜んでくださり、ありがたい限りでした。

「明日は良い母の日になります」と、息子さんがお母様を連れて落語会に来てくださり、ニコニコしながらお帰りになったのは私も嬉しくなりました。

昭和29年のヒット曲は「岸壁の母」菊池章子の歌唱が人々の心を打ちました。
岸壁で息子を待つ母の気持ちは、カバーではなかなか味わえない。
菊池章子といふ歌い手が戦争を経験し、あの時代を生き抜いた証があの歌には込められています。

芸人がこの世を去ると、必ず「芸まであの世に持っていっちゃうから悔しい」と残る者は言います。
その人をカバーし、同じようにその噺をやっても、やっぱりその人じゃなきゃダメなんです。

芸事って悲しいかな、そういう風に出来ているんです。
だからこそ先人をリスペクトして、自分なりの芸をお客様に表さないとなかなか難しい。

歌はどうなんでしょうか?わたしは素人だからわかりませんが、素人のわたしが歌を聴いていてそう思うんです。
2017.05.14 Sunday | comments(0) | trackbacks(0)-

水色のワルツ

第1956回・この人、この歌

〜二葉あき子〜

羽田空港におります。
これから数年ぶりの鳥取県米子の独演会へ。

今日は昼夜の独演会です。計四席口演予定。

米子って確か作曲家の高木東六さんが生まれたところではないかしら?

高木東六といえば、無類の歌謡曲、流行歌嫌いで有名で、非常によろしくない作品にはハッキリと否定的である。

家族対抗歌合戦の審査員の記憶の方もおいでかもしれない。

戦後すぐ、映画館で流れていた流行歌が聴こえてくるだけで寒気がした、とか、歌を大切にしない歌い手さんを徹底的に批判したりだとか、作品そのものにおもしろみがなかったり技術が欠けていたりちゃんと考えていないような楽曲にはダメである、と、ハッキリいい放った。

藤山一郎さんの娘さん市川たい子さんは、以前、わたしとの対談で、「高木先生みたいな方がいらしたから、戦後すぐの流行歌、やっぱり私は大変に素晴らしかったと思います」
と話された。

しめるところはしめる。だからまたその文化は花が保つ、わたしはそんな気がします。
もちろん、何かをその世界に言う立場でなかったり、的外れなご意見などは、どんな方でもごめんこうむりたいが、ちゃんとその世界のプロが若き人間に意見する世界といふのは実に素晴らしいことである。

下の人にちゃんと怒れる人がいる世界の規律たるや素晴らしい。

ただ、怒る人は、イメージを損なうかもしれない。しかし、上に立つ人はそこも顧みずにぜひとも意見していただきたいです。
それがその世界をいつまでも新鮮に保つ秘訣だと思います。

しかし、本当に外部からの意見はしっかり精査しないと、ただの罵倒であったり、愚痴めいた苦情であったり、それは精査が必要で、その世界の新鮮さには繋がらない。
これがまた勘違いされる方が多くて…笑
わたしが言ってあげないと…
どんなに正論でも、そこはその道を修業した人にお任せをしないといけない。

まあそれは置いておきます。

いま、どうですか?
「昔の歌は良かったなあ」と振り返る先輩方がたくさんおいでになる。

わたしもそう思います。しかし、そんな数々の珠玉の作品を当時から、高木先生は「愚作の骨頂。だから歌謡曲は嫌いだ」とある。

あの素晴らしき名曲の数々ですら、高木先生には「なんたる日本、あゝ、昔は良かったなあ」なんだから、恐れ入ります笑(恐れ入谷の鬼子母神、も言わなくなりました。ちなみに円丈師匠は、恐れ入谷の家具センターって言ったっけ笑。全国的に有名な家具センターが入谷にあったから。実にくだらなくて好き)


さあ、そんな歌謡曲嫌いな高木東六さんが好きな歌謡曲もございました。
そんな歌謡曲の数々は本当に優れていたのでしょう笑

で、歌謡曲嫌い高木東六作品の流行歌もございます。やっぱり高木作品、ちょいと他の流行歌とはまた違うメロディですから、きになる方はぜひともお聴きください。
「空の神兵」が戦時中できます。
確かにこれ、戦争中の歌か?といふような見事な楽曲です、はい。

そして戦後はお馴染み「水色のワルツ」。
水色のワルツってカクテルが出来るくらいヒットしたわけです。
作詞・藤浦洸、作曲・高木東六、歌唱・二葉あき子。
あの旋律、歌謡曲か?歌曲か?
人呼んで「歌謡曲の最高傑作」と言われました。

高木先生がこの世を去られたあとも、あの「わるいものはわるいもの。この世界が好きゆえの否定。」
落語の世界も同じです。

こういう世界がはるかに上回る最高傑作の誕生が期待できるわけでございます。
東京は雨。みなさん、お気をつけくださいませ。

わたしはね…眠いですー。
2017.05.13 Saturday | comments(0) | trackbacks(0)-

ヘッドライト

第1955回・この人、この歌

〜新沼謙治〜

今日はマンスリー歌謡ライブで、新沼謙治さんとご一緒しました。
新沼さんともこの会では三回目です。
今日お話を聞いていたら、新沼謙治さんはよく新宿末廣亭に通っていたそうな。いまもたまにご来場いただくようだ。
落語もお好きで嬉しい。
しかも紙切りで注文するってんだから笑
「紙切りは何を注文されたんですか?」
「そりゃもちろん鳩ですよ笑」
こりゃ失礼しました笑。
でも寄席が好きってのは本当に嬉しい。
ありがとうございます。

今夜、もうひとつ嬉しいのは梅田寄席。
やっぱり地元は何故かゆっくりやらせていただける。
あんまりやらない噺を思い出しながら…そんな気分にさせてくれる。

何より贅沢なのは、小はん師匠とご一緒できることが多いからだ。

なかなかわたしのキャリアで小はん師匠と寄席以外で濃密に口演できる機会は少ない。
いつもたくさんのアドバイスと思い出をこさえてくれる。

楽屋で「悋気の独楽」の話になった。
「いま、悋気の独楽ってやらなくなったねえ。たけちゃんはやるの?」
「持ちネタでありますが、確かにやらなくなりました」
「筋はわかるかい?」
「・・・たぶん」
「じゃあ、やってみればいいじゃない」
「いえいえ、急には難しいですよ」
「落語はね、たまに急にやってみるのは大切だよ。地元ってのは、そういうところなんだから」

昔の懐かしい、正しい、噺家論をたくさん持ち合わせている小はん師匠に言われたらやらないわけにいかない笑

楽屋戻ったら
「どうだった?」
「思い出すだけで精一杯でした」
「この感覚を覚えておいた方がいいよ。歳を取ったときに役に立つ」

今日は、小はん師匠に入門動機を聞いてみた。
「師匠は何故落語家になったのですか?」
「人形町末廣のおかげだね」
上野鈴本演芸場が今は一番古い寄席だが、昭和四十年代までは、同じ江戸時代創業でも人形町末廣が一番古かった。

勿論わたしは知らないから人形町末廣の話になると胸がわくわくする。

「人形町末廣のおかげとは?」
「俺はね、千住で生まれて子供の頃は人形町末廣によく通ってた。人形町末廣の真ん前に今の都電が通ってて停留所が寄席の目の前。千住四丁目発、水天宮前行が出ていたから家から一本。人形町って停留所で降りると寄席の真ん前に着く。」
確かに市販されているテープで人形町末廣で録音したであろうテープを聴くと途中途中に必ず電車の音が入ってて聴いていて味がある。
「寄席がはねる(終演して)と、みんな落語家も停留所にずらっと並ぶんだ。当時の落語家だからみんな着物で移動している。あの停留所に静かにすっと立っている姿が、本当にカッコいいんだ。キリッとしてしてね、高座の愛嬌はまるでない。すっと立っている姿が実にカッコいい、そこに夕日がさすとね、なんともいえない哀愁もあるんだ。あの停留所に静かにすっと立っている姿見て惚れちゃって落語家になったんだ。だから当時、人形町末廣が無かったら絶対に落語家にはなっていないんだ」

こういう入門動機もまた珍しい。
だから今でも小はん師匠は着物移動。ここに理由があったんだ。
「夜席がはねて、停留所に落語家が立つ。車のヘッドライトがあたるとまた哀愁がいいんだよ。」

こういう雰囲気や説明出来ない咄家の良さを体に染み込ませている最後の世代が小はん師匠世代なんです。
だからたくさん一緒にいたい。
そして私ら若造には決して出来ない、あの人形町末廣の雰囲気の芸風をもった小はん師匠世代を1席でも多く聴いていただきたい。
これは押し付けでなく、落語を愛する皆様方への願いなんです。

歌の方では、昭和52年かな?紅白歌合戦でも歌われました、歌唱・新沼謙治「ヘッドライト」。
新沼さん、昼間も歌っておられました。

新沼さんがお好きな新宿末廣亭。その新宿末廣亭では、そのむかし、「末廣三羽烏」と言われた面々がおりました。
いわゆる新宿末廣亭に実に似合う、若手の実に落語に味がある、若手落語家。
それが今の柳家小満ん師匠、そしてお亡くなりになった、はやし家林蔵師匠、そして、今日、梅田寄席に出演された柳家小はん師匠なんです。

そんな小はん師匠と、そして味があるふるさとを歌い続ける新沼謙治さんと昼夜で仕事しているわたし、不幸せなわけがありません。
幸せ一杯な1日でした。
2017.05.12 Friday | comments(1) | trackbacks(0)-

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