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となり横丁

第1876回・この人、この歌

〜二村定一〜

今日で2月中席、浅草演芸ホールの出番を終えました。
ご来場いただきましてありがとうございました。

浅草演芸ホールへの通いみち、嬉しいのはつくばエクスプレスに乗り、地上へと上がる途中に浅草にゆかりある、お歴々パネルに出会えること。

何度見ても嬉しい。

流れ行く歌、のごとく、流行歌の世界、悲しいかな、大スターであれ、時の流れにより、歌い手さんの名前が人々の記憶から遠ざかってしまう場合もある。

しかし、つくばエクスプレスのパネルにはまだ、二村定一がちゃんと残っているのが嬉しい。

浅草オペラから流行歌の世界の第一人者へ、そしてエノケンとのからみにまた浅草は二村定一と切っても切り離せないのであります。
自分がぺーぺーながらも寄席に出させていただいていると、芸人とは、なんぞや、といふのを考えることがある。
そんなとき、ふと、二村定一の歌声が感じさせてくれるし、また考えさせられる、昭和元祖芸人であるなあと思う。
歌以外で銀幕でも芝居でも天才的に達者だったのだろう、と。

それは歌声ひとつ聴いてもまさに、であります。
「笑い薬」に「百万円」などの歌声を聴けば、もう、芸人の中の最高峰の本物であろう、と思うのです。

「君恋し」など、歌声全てにその怒られるかもしれないが、芸人魂が感じられるくらい、幅広い人であります。

幅広くて深い「芸」と「本物」をみて、聴いた瞬間に、果たして俺は芸人か、と、考えてしまうのが常であります。
二村定一はまさに我々現代を生きる芸人に必要なものをストレートに教えてくださるのだ。

さあ、フニクニ・フニクラから生まれました「となり横丁」いきましょう、歌唱・二村定一でおやすみなさい〜。
2017.02.20 Monday | comments(0) | trackbacks(0)-

ご機嫌さんよ達者かね

第1875回・この人、この歌

〜三橋美智也〜


2つ前の歌ブログで船村徹先生の話をしたばかりでしてね…

来るときが来てしまったのでしょうか。

とにかくお亡くなりになる前日に船村徹先生最後のお弟子さん、村木弾さんの司会をコロムビアマンスリーライブでしたばかり、舞台でも村木さんとずいぶん、船村先生の話をしました。
そして、翌日、船村徹、逝く。
この日は村木弾さんが、プロデビューをして船村先生プロデュースで丁度一年。その日にお亡くなりになりました。

驚きを通り越し、わけがわからない。
そんな状況です。

ビッグネームだけでない、音楽界の最後のシンボルが逝きました。

そう思います。

船村作品は多大すぎます。
私が特に好きな船村作品を列挙。

「ダイナマイトが百五十屯」(小林旭)、「どうせ拾った恋だもの」(初代コロムビア・ローズ)、「青春パソドブル」(青木光一)、「夜が笑っている」(織井茂子)、「ハンドル人生」(若原一郎)、「あの娘が泣いてる波止場」(三橋美智也)、「早く帰ってコ」(青木光一)、「僕は流しの運転手」(青木光一)、「三味線マドロス」(美空ひばり)、「ふるさと列車」(青木光一)等々

訃報は残念です。と同時に残念なのが訃報の出しかたが偏りすぎな代表曲ばかりで本当に残念でした。

演歌の船村徹でもありますが、流行歌の船村徹でもあります。

ちゃんとバランス良く初期の代表曲からも訃報欄に明記していただきたかったな…
だって本当に大シンボル最後の音楽人ですよ…
お願いしますよ…。


さて、わたしは今思えば、ちゃんと船村先生とお話が出来たのは宝です。

最初にお話したのは、電話でした。

私が以前、出版しました「よみがえる歌声」(ワイズ出版)の対談したい人リストを出版社に出してほしいと言われ、そのリストに船村先生を入れさせてもらいました。
断られました。
わたしは直接電話すると言いました。
それは是非とも先生と対談を…といふ意味で電話すると言ったのではありません。
それは下品でしょう笑

なぜ、断ったのか、その理由を直接聞かないと合点しない、とわたし言ったのです。

船村先生との電話、
「先生、ノーの理由を教えてください」
「僕は演歌の人だから」
「わかりました」
これだけでわたしは全て合点がいきました。
この短いやりとりでわかること?
それは…ちとここでは伏せさせてください。
書いて、捉え方が様々だと誤解を生んだらまずいのですみません。

で、そのやりとりのあと、そうだな…結局、電話で20分以上話しました。
嬉しかったですよ。
だってこの世界の人間国宝みたいな方とサシで話せたわけです、しかも、わたしが聞きたいことを…
「東海林太郎さんはね…」「藤山さんは実はね…」
全く、流行歌がスキ、詳しいだけじゃ知らないことばかりのオンパレードで、本当に感激したし、あゝ、やはり史実はそうなっている…よりも、実際に共に仕事をしてきた人の話は本当に生々しく、これが事実なんだ…と思ったことがたくさんあった。

流行歌に詳しいだけよりも本物に触れられたのは本当に糧だ。
有難い。

そして、もう一度、こちらは実際にお会いして話しました。

去年です。
先ほど記述しました、村木弾さんのデビューパーティーが船村先生の事務所とコロムビアレコードの共催で開催されました。
その司会が私だったんだから…いやあ、いま思えば、これ以上の光栄は無かった。

船村先生、ちゃんと覚えておられて「以前は失礼しましたね」と言われちゃいました、つまり、本の対談のこと。
あのパーティーのときは、正直、先生かなりきつかったみたいだ。
でも最後のお弟子さんのプロデビューのパーティー、無理をされて出席されたんだろう…と思いましたね。
船村先生のスピーチ、舞台でなく、着席テーブルからに急遽なりましたし。

舟木一夫さんともあのときずいぶん話しましたが、船村徹の凄さ、大スター舟木さんから直に聞いたとき、鳥肌が立ちました。

本当にそういう経験をしているわたしは幸せです。

どうですか?わたしはこれで昭和歌謡曲はとりあえずお休み、になったと思います。
お休み、ね。

本当は、終焉…なんでしょうか…
でも船村先生とパーティーで話したときに「たけ平さんね、僕はもうすぐ死ぬよ、いやあ、死ぬさ、でも綺麗事に聞かないでくれ、僕の曲は残るさ、これ、自慢じゃない、死ぬ気でこさえたから当たり前だよ、残るさ、僕が死んでも、絶対に曲は残るさ」

これはね…なかなか言えないお言葉ですよ…
本当に死ぬ気でこさえたんだ、と、隣で直に話して、その言霊ってのかね、伝わってきちゃって、鳥肌ものでした。

鳥肌たつんですよ、近年なかなか無かった、これはね、本物が最近少ない、って証拠にもなっちゃうか…

あのとき、パーティーで私の楽屋で休まれたときに肩で息をされていて、そのときに、先ほどの話を聞いた。
あのセリフが本当に強すぎて、わたしは、終焉と言えないんです。

直に言ってくださった、あの言葉…うーん、だからね…昭和歌謡曲の「お休み」としておきたい。

先ほど列挙した曲、演歌ですかね…
やっぱり流行歌の先生でもあるんです…だからわたしは最後の音楽界のシンボル…そういうことになる。

船村作品は良い曲が多い。
「三味線マドロス」なんざ、嫌いって人とわたしゃ話できないかもな笑

あと、「あの娘が泣いてる波止場」の調子と「ふるさと列車」ね、あの調子はね、たまらんね。

「夜がわらっている」の芸術性の高さね。音痴な俺だって良いものくらい、わかります笑

といふことは…
非常にレベル高い船村世界なのに私のようなセンスなき人にも「良いなあ!」ってわかる、大衆的なところも抜群にあり、それなのに先生自体はレベルが高い。大衆に下りられるセンスもある。
どうでしょう?作詞家作曲家ごちゃまぜでいきますが、古賀・古関・服部・掬太郎・万城目・藤田・大村・藤浦等々…こういう大シンボルの先生方と当たり前に並べて記せるわけですね。
ここに並列に記せる最後の大先生、そういうことです、わたしの中で。

だから、もう、船村先生自体の死去の悲しみとダブルで感じなきゃいけないのが日本昭和歌謡曲の「長期お休み」を感じなきゃいけないのが本当にきついですね。

未だにあの電話受話器口で船村先生が「赤城の子守唄」を少し歌ってくださったときのあの感激が忘れられない。
「ねえ、語るとメロディはあまり変わらないんですよ、いまのでわかりましたか?」
わかるもなにも…突然過ぎて、全く集中してなかった…ウソついたね、わたし
「よくわかりました…」だって笑

「でも、私のこの感覚はやはり演歌に重要視される感覚なんですよ、だから、たけ平さん、わたしはあなたのその本には入らない方がいいと思います」

もう、なんでもいい笑、あの船村先生とあれだけお話できたら、それでわたしは音楽論が、懐メロ論が、流行歌論が、それに詳しい人よりも、俺は贅沢だ!笑、そう思ったらもうあのときなんでも良かったですよ。笑

「なくな〜」赤城の子守唄を歌われたあと、「いまの歌いかた、これ、わたし。東海林さんでは歌えない、わたし。だから、僕は流行歌論は語れない」


そういくら言われても、先生、わたしは、あなたの作品にどれだけ心を奪われたか…
いや、これからも。

だから、船村先生で思うんです。
演歌、流行歌、歌謡曲、等々わけなくたって良いものは全部良いんです。

船村先生は「演歌は…」みたいな言い方をされていましたが、あれはよくよく先生の話を聞いていると、全て音楽は一緒でいいんですよ…となんだか逆に言っているように思います。

だって、「僕は流しの運転手」と「風雪ながれ旅」ですよ…笑

たから、わたしは音楽に境無し、それを地で行く最後の先生、そう思います。

だから、流行歌好きな私が船村ワールドに心奪われる。
もうでない先生でしょうね…

三橋さんの歌も船村先生「ご機嫌さんよ達者かね」

先生らしい作品です。大好きです。

ご冥福をお祈りいたします。
2017.02.19 Sunday | comments(0) | trackbacks(0)-

あゝ人生に涙あり

第1874回・この人、この歌

〜里見浩太朗/横内正〜

今日は水戸で落語講演会の仕事に行きました。

前半が洋服で講演で後半が勿論、着物で落語といふパターンの営業は本当にわたしは多い。

水戸といえば、納豆、梅、水戸黄門…

久しぶりに水戸に行きました。
水戸でのお仕事は落語家になって二回目。
案外、少ない。

以前は純粋な落語会で伺いましたのが、前座のころ、歌武蔵師匠の独演会で行きましたから十数年ぶりの水戸でした。

生落語初めてのお客様ばかりで大変に盛り上がりました。
往復、スーパーひたちに乗れたのも嬉しい笑。

まだまだ落語はどれだけの落語ブームとしても、触れていただいてない方々が多いわけでして…我々、落語家、落語を通し、楽しんでいただける場に俄然、開拓の余地があることと、初落語の方々への責任を大いに持って、高座に上がらなきゃいけないなあ、と思いました。

よく私の落語を聴いてくださるお客様には「なんだい、またこの噺か…」と言われるくらいありふれているが、このありふれているのが、良いんです。

初めて落語を聴いていただく方に、すっと分かりやすい落語とマクラのご提供が一番、入っていただけるわけです。

しかし、このありふれた、といふ言い方をわたし今しましたが、このありふれているのが、なかなか高座で出てこないときもある。

だからこそ、わたしは、寄席にやっぱり感謝します。
寄席で普段、いつものマクラからネタに入るパターンをやらせていただいているからこそ、営業ですっと出るんだと思う。

寄席の凄みは何か。
マニアックなことを決して提供しないこと。

だから寄席に出ているってことは、大切でございますー。

水戸で常陸牛、また一つ名物キーワードが頭に入りました〜

さあ、やっぱりわたしは、目に入らぬかあ〜!!!
水戸黄門ですわねー、わたしは、本当に大切なドラマを無くしてしまったなあ、と思って残念でなりません。
残念と言えば、船村徹先生がお亡くなりになったこと…
また船村先生については明日こちらのブログに掲載します。本当にわたしはがっくりきています…
ご冥福お祈りいたします。

今日は水戸、明日は青梅、「梅から梅」

いきましょう、「あゝ人生に涙あり」歌唱・里見浩太朗/横内正でありますー。
2017.02.18 Saturday | comments(0) | trackbacks(0)-

夕笛

第1873回・この人、この歌

〜舟木一夫〜

今日はコロムビアマンスリー歌謡ライブでした。

出演の村木弾さんといえば、船村徹先生の門下であります。
先輩は舟木一夫さんがおられます。
村木弾さんは、落語家と同じような修行をされている方なんです。

ご苦労も沢山おありだった方でしょうから、なんとなく近いものを感じてなりません。

完全な内弟子だったことを考えると、わたしよりも大変だったかもしれません。
わたしは「青春」といふものをあまり思い出せません。
そりゃ大学、高校の思い出はあります。
しかし、二十代前半の思い出が極端言うと、思い出せません。

修業に入るとそんなものかもしれません。
毎日が今とまた違う必死の毎日でした。

また「人生の予測が立たなかった」ことが怖かったくらいしか思い出がありません。

そりゃ、前座時代のああだ、こうだ、は覚えていますが、そうではなくて、青春に味わう世間一般のことをどうも思い出せません。

そんなものかなとも思います。

だから、修業時代に入るってのは、覚悟が相当ないと続かないです。

毎日を生きるのが金銭的ではなく、精神的に精一杯なんです。

この先、どうなるかわからない、そのこととの答えの出ない自問自答が日々何年と続きます。

わたしが三年の修業で覚えたネタは、たった6つでした。
単純計算、一年に2つ。
覚える時間が無かったを言い訳にできるくらい、朝から晩まで精神的にかなり忙しかった…。

ましてや、青春のせの字も感じられなかった。

師匠の修業時代の方針はそれぞれ違います。
そして師匠の方針は絶対ですから、どれが間違っているとかはありません。

いまは、前座さんのネタ数の多さに驚きます。

それだけ、ネタを覚えることを課せられている方針がいま増えてきているのかもしれません。

しかし、わたしには、ネタを覚えることを課せられる…といふ言葉自体がすんなりこない笑。

だって落語家になったんだから、ネタを沢山覚えることは、むしろ嬉しいんじゃないか、と思うんです。

ネタ増やしたかったですもの、当時。

でも内の当時の修業は、ネタは二つ目から、前座はとにかく働け!
その最後の世代だと思います。

ネタはない、二つ目にいつなれるかわからない、よしんば二つ目になってもその先どうすればいいのか、皆目わからない。

それはそれは暗黒な不安な日々でした。

だから、その反動で、二つ目になると自ら「生きる力」が生まれました。

だから私は師匠に感謝しています、いまは。

わたしの性格だと、ひたすらネタを覚える修業時代でしたら、いまのわたしは、ない、間違いなくそう思います。

二つ目になり様々なしがらみから開放され、開放されるといふのは良く言えば自由、しかし、悪く言えば、何も後ろ楯がないから、自らの力で仕事をせねばなりません。

その発進にわたしは、あまり苦労しなかった。
なぜならどう考えても自分で何かせねば何も進まない状態でした。

前座さんでネタを覚えることに必死になっていて、二つ目になり、ネタがあっても「生きる力」がない方も沢山いらっしゃり、また、その方はその方で大変に今二つ目でご苦労されている方もおいでです。

ですから、どんな環境、どんな状態であれ、みな、それぞれご苦労がおありかと思います。

どちらにせよ、修業ってのは、大変なる覚悟があるわけでございます。

昔の前座さんは、わたしみたいな修業時代の方がほとんどですから、青春が思い出せない方が多い。

だからいまの重鎮の方々は、歌謡曲が好きな方々が多い。
それは自身の青春時代をせめて歌だけは当時流れていたからです。

その青春の見本みたいな方が舟木一夫さんです。
日活の映画にもなりました。
このころが青春の方も多いと思います。
「夕笛」をお送りします。
2017.02.17 Friday | comments(0) | trackbacks(0)-

アイヨ何だい三郎君

第1872回・この人、この歌

〜若原一郎〜

落語をやっていて、何が一番嬉しいかと言えば、お客様がその世界に入ってくださることだ(そうでないときも最近は多いが)。

これは我々落語家冥利だ。
我々はあまり感情を込めない。
人情噺で感情を込めているように見えるがあれでもあまり感情を込めていないんだから、芝居だったら、大変なる感情を込めたように見えるかと思う。

感情をあまり我々は込めないといふのは、あとはお客様が感じていただく芸ですから、いわば丸投げに近い。
しかし、こちらは落語を提供し、あとはお客様の方で…
といふ芸能で元々成立しております。

だから、そういう状況で、お客様が噺の世界に入ってくださること、嬉しい限りです。

まあ、なんでもどんな商売でもそうでしょうか、相手様が反応してくださるといふのは、こりゃ嬉しいし、また甲斐があります。

「おーい中村君」といふ若原一郎歌唱のヒット曲があります。

さあ、そのアンサーソングで出ました、「アイヨ何だい三郎君」これも歌唱は若原一郎であります。


平成の初めに若ちゃん、この世を去りましたが、本当に残念ですよ。
もっともっと活躍していただきたかったなあ、って思います。

では、これから、歌謡曲の殿堂、古賀政男音楽記念館のけやきホールにて、コロムビアマンスリーライブの司会に行ってきます〜。

今日は懐かしい歌は「別れのブルース」「黒百合の歌」「ろくでなし」「聞かせてよ愛の言葉を」あたりがあるらしく楽しみですー。
2017.02.16 Thursday | comments(0) | trackbacks(0)-

可愛いおまえ

第1871回・この人、この歌

〜渥美二郎〜

今夜、足立区を舞台にしたドラマ「千住クレージーボーイズ」がNHKBSで放送されるみたい。

そりゃもう足立区生まれ育ちの人間は観ますよ。

地元の北千住様々な場所が出てくるらしいから楽しみ。
ドラマはオール北千住で撮影したらしい。

確かに去年冬あたりか、歩いているとやたらにカメラがあったりと、ドラマを撮っていたのですね。

北千住といえば、我が区民にとって、渥美二郎さんです。

先日、渥美二郎さんのデビュー時からの根っからの大ファンのおばさまがお亡くなりになったと聴いた。

このおばさま、なぜ知っているかといふと渥美二郎さんの司会を何回かやっているうちに知り合いになったのだ。
必ず喫煙所でも会ったし。
そんなおばさまを熱海で去年見たのだ!
「だってわたし熱海に住んでて、渥美さんのときに必ず全国ついていくから」

わたしの熱海の起雲閣の落語に昨年11月初落語にいらして喜んでお帰りになった。
「なんかね、たけ平さん、渥美ちゃんの足立区の冊子があるんだって?あたしみたいのよ、こんど熱海に来るとき持ってきて○○ってスナックのママがあたし知り合いだから預けておいて」

そのスナックのママは偶然にもわたしの落語に熱海で必ず来る方ですから共通の知り合いだったのもまた偶然でしてね。

渥美さん掲載の記事、スナックのママにお渡ししましたが、それを楽しみにしていたようですが、自身の手元に行く前にお亡くなりになったとのこと。

残念でした。
このおばさまは、レコード会社でもめちゃくちゃ有名な、渥美二郎さんの大親衛隊の大親分!でした。

声でわかりましたよ、あの方、おみえだな、と。

渥美二郎を心から愛した、またそれが本当に熱狂的な方でした。

もう喫煙所でお会いできないんだなあ。そう思うと残念だったし、また、あの渥美二郎愛をこんこんと聞けなくなりました。

ここまで愛されたら…芸人冥利だと思う。

渥美さんが車に乗るとき、この方は、決して渥美さんに近づかなかった。

車に乗りやすいように、愛するゆえの気配りの様々きく方でした。

出るところしか出ない。

北千住の流し時代から、渥美二郎一本の、本当にレコードデビュー前からのお客様、ありがたいお客様だったと思います。

その方が歌唱・渥美二郎「可愛いおまえ」がやはり一番の思い出の歌とおっしゃっていた。

市場としてのレコード初がこの「可愛いおまえ」だから、流し時代からのファンの皆様にはたまらない思い出の曲なのかもしれません。

落語家には落語家の思い出のネタがあります。
わたしは「紀州」ですね。
このネタ一つでわたしの落語家人生の進むべき道が決まりました。

あのおばさま、計八回はお会いしました。
七回が喫煙所、もう一回が熱海起雲閣寄席にご来場いただいたとき。

ご冥福をお祈りいたします。
2017.02.15 Wednesday | comments(0) | trackbacks(0)-

笑って許して

第1870回・この人、この歌

〜和田アキ子〜

先日、前座さんの「みそ豆」のお稽古をしていて、ずいぶんと江戸の食文化の話をしました。

これは今では特に落語でも問題視しないが、やはり、落語をやる上では、お客様に伝えなくても、こちらが知っていけなきゃいけない文化特性があります。

例えば、昔はおまんまをおかわりするときは少し残しておかわりをするとか。

いまじゃマナーが…で終わってしまうことも、落語家なら本来のことをやはり知った上で口演していきたい。
いまは笑い優先でないがしろにされる大切なことが多すぎて嫌だなあと思うことがあります。

おかわりのときは、少し残す。「縁が切れないため」。おまんまと縁が切れたら人間は死活問題ですから、逆に少し残してといふのは、おまんまを大切にしているわけでして。
食べきるともうおかわりしない、ってことになる。
とはいえ、わたしはおかわりのとき、ちゃんと食べきってからおかわりします。現代人の鏡ですね笑

「いやあ、立派な鯛ですね…」
と、尾頭付きに目線で追うときは、やっぱり魚の頭は常に左にあるのが常識。
とはいえ、わたしも「妾馬」でこのシーンが出るが、ついつい間違ってしまうことが多い。

「味噌蔵」って落語がありますが、奉公人はなんだかいつも空腹な感じだ。

これも理にかなっていて、江戸の初めは1日2食であったわけです(後三食)。
ましてや、一般的には、夜は茶漬程度で済ますのが主流でしたし、商家の奉公人は昼飯なんざ、10日に一度くらいしか食べれなかったと聞きます。
なるほど、合点がいく「味噌蔵」が成立するわけです。
職人は逆に体資本だから食べた食べた…。

だから落語でよく食べるのが出てくると職業が明かされないで落語が終了してもだいたい職人の場合が多いです。

落語家は歴史研究家の先生ではないので高座で説明はしないです。が、演者は心の中で理屈の塊であり、それをあえてお客様には出さないで口演するのが落語家ではないかな、と思います。
でもいま、「知らない」、ならまだいいです、知ればいいですから。
わたしもそんなひとです。
しかし、いま、うーん…は、「知らない」じゃなく、落語で笑わすなら「関係ない」「興味ない」となる場合が多くなりつつあります。
現実にこれでもお客様は大いに笑ってくださる。
むしろ、関係ない、興味ないが結果往来を呼び、ルール外の演出?でガンガン沸かせている場合がある。
またね、お客様も喜んでくださるんだ…笑

演者が「関係ない」「興味ない」であるならば、もしかしたら、お客様もいま「どうでもいい」「おかしけりゃ何でもいい」「なにやってもいいから笑わせて」「落語をどんどん変えて刺激を」
があるのかもしれないです。
だから演者の「関係ない」「興味ない」の高座とバッチリ意見があい、盛り上がっている「落語ブーム」?笑、になっているのかもしれませんね笑

これが今後主流になればなるほど、落語は寄席は笑いは大衆芸能は、質の低下、大低下、を辿るようで怖いです…

落語だから他の芸能から守れたルールがあったから、今まで続いてきたのですが、これからは正直、怖いですよ…

はい、落語でござい、って、高座、いま、なんで落語たくさん聴いているお客様が冷静なんだろうか…笑
ふざけないからだろうな…笑

ふざける、って、言葉自体が、落語ワードに無かったはずなんですが…

ふざけないように、絶対ふざけないように、でも心の中でちょっとふざける、これ、落語かなと。

これがスキだからわたし入門したんですが…笑

いま、わたしがスキな落語スタイルでいったら、どんどんお笑いいただけないかもしれません…。

「時そば」をあれやこれやと変えて、それが、今の落語ファンの方が支えてくださるとしたら、うーん、「落語」ってジャンル以外にもう1つ「○○」ってジャンル名考えて分けていったらどうかな…

もう、「落語」ってワードでひとまとめにする時代が、合わなくなってきているのかもしれません。


とにかく、たまに高座に上がっていて、よく聴いてくださる落語ファンのお客様のことが多い会場で、高座にあがってしゃべりながら思ってしまうときがある、「え?なんでみんな、こんなに冷めて落語聴く体勢なんだろう…」って笑

もしかしたら、その体勢を落語家が盛り上げてくれる、そこから、わたしたちがやる、って思っておられるのかもしれないなあ…笑
いやいや、落語はほぼほぼ、お客様あっての成立でしてね…笑、あとは自らお客様自体が楽しんでくださり、想像からご自身で盛り上げてくだされば…と思います。

この落語の大前提、が、いま通じないから正直びっくり!

我々演者はお客様の想像までは、体勢作りまではお手伝いはしませんので笑

って昔、申し上げたらよく落語を聴くお客様に「あなたの芸が上手くないから笑えないんだ」と言われたことがあります。

大正解かな、と笑

これは正しいと思います。
これしかないなあ…笑

でも、そんなへたくそ落語ですら、落語には大前提があるんです。「落語をいかすもころすもお客様」って言葉。

そんなお客様にご迷惑をなるたけかけないように、そう、冒頭で申し上げたような、お客様に伝わらなくてもいい、演者が最低限知らねばいけないこと。

これをお稽古で後世に伝えていくのが、大切です。

お客様も是非ともお願い致します。

なんでもいい、はちゃめちゃのは、落語で笑っていない、ってことを。

是非とも…。


「笑って許して」歌唱・和田アキ子であります。
2017.02.14 Tuesday | comments(0) | trackbacks(0)-

蛇の目のかげで

第1869回・この人、この歌

〜日本橋きみ栄〜

昨日はかなり遅い帰宅になった。

それにしても、昼間、ぼたんさんと野方寄席の楽屋でしみじみ話をしたが、去年は野方寄席終演後、二人でやっぱり昨日くらいの時間まで、そうそう、帝国ホテルの真打披露パーティーの席次決めをはじめ、いやはや、大変だったのを思い出した。

もう間もなく一年が経とうとしている…早い、あまりにも早すぎる…。

私の出囃子が「蛇の目のかげで」に変わってもうすぐ一年。

なんともわけのわからぬまま、あっという間の一年でした。

さて、これから特に体調にはくれぐれも気をつけなければならない。

異様なる寄席出演ラッシュが今日からスタートする。
寄席出演が入ると三ヶ所になることも多いからだ。

今日から私の2月中席がスタートする。
2月中席は、浅草演芸ホールの夜席。
2月下席は、ごめんなさい、休席をいただいております。

3月上席が名古屋の大須演芸場と浅草演芸ホールの夜席!笑

3月中席が池袋演芸場の昼席。

3月下席が浅草演芸ホールの昼席。


有難いけど、気を引き閉めないと大変だ。

本当に有難いですよ。だって、休席を出さなくても寄席に入らない場合もこの世界は往々にしてございますから、寄席側が私を買ってくださるってのは、本当に有難い。

思えば、去年の5月中席で真打披露が終わり、正式に真打にならせていただいてからこの一年間、本当に寄席にたくさん出演をいただきました。

5月下席、浅草演芸ホール夜席

6月上席、大須演芸場

6月中席、黒門亭

7月上席、浅草演芸ホール昼席

8月中席、浅草演芸ホール昼席

8月下席、池袋演芸場昼席

9月下席、浅草演芸ホール夜席

10月上席、黒門亭

11月上席、横浜にぎわい座定席

12月上席、上野鈴本演芸場昼席

12月中席、浅草演芸ホール夜席

正月初席、東洋館

正月二之席、黒門亭


と、改めて有難いなあ、と思っております。

寄席は我々、落語家の最大の職場であります。

軽視してはいけません。
様々な考え方があると思います。
わたしが軽視しない最大の理由は、不特定多数の初落語のお客様が必ずご来場している、といふ、落語家が決して、落語をよく知っているお客様だけを特定に芸をしてはいけませんよ、その戒めが寄席に深く深くあるからです。

なるべく休席を出さないように、また、寄席に入れていただいた時には、必ず1席1席を例え短い出番であろうと、渾身の心、これをちゃんと他の仕事同様、日々込めなければいけません。

わたしのキャリアで寄席に出させていただくのは光栄の極みです。

初めてのお客様が、また、寄席に来よう、そんな気持ちになっていただけなければならない。

定席の重責、これは寄席芸人、気を引き締めなきゃいけないです。

だから、寄席が続くときはいつも以上に体調を整えなければいけません。

また寄席で私の出囃子「蛇の目のかげで」を生三味線で聴いてくださいませー。
歌唱・日本橋きみ栄であります。

今日だ…三ヶ所…。

そしていつも支えてくださるお客様に感謝であります。
2017.02.13 Monday | comments(0) | trackbacks(0)-

この青さ、この若さ

第1868回・この人、この歌

〜水原弘〜


先日、あるところで、水原弘さんと公私ともに懇意な方と随分、それこそ、恋のカクテルじゃないけれどbarのカウンターでお話した。

いらっしゃるんですね。たくさんまだまだ懐かしい歌い手さんとの付き合いがあり、また思い出である方は。

ここでは話すのは許可をいただいていないので差し控えるが、とにかく呑んだ呑んだ水原弘とは聞いていたがその「飲みっぷり」は、想像を超えていた。

あんなに素敵な歌い手が早すぎる四十代前半の死。
本当にいま生歌を聴きたかったと悔やんでおられた。
我が母親、子供時代のスターであり、また、今の先輩方がもろ青春時代でありましょう。

この青さ、この若さ、と言えば、本日、野方寄席、林家若手一門会、ご来場有り難うございました!

この青さ?この若さ?と、思わず、「?」をつけます笑

だって本当に若くない!

楽屋で「若手一門会って言ったってそこまでもう年々、若くないでしょう」
なんて、話ながら、わたし、高座に上がって、お客席を見たら、あ、俺まだ若いか…と思ってみたり…いや、こりゃ、失礼、ご来場有り難うございました!笑

落語家が「若さと青さ」がいつまでか、これは様々な線引きあるかな、と。

わたしは真打、二つ目とか、こういうランクは関係ないと思う。

線引きは、わたしは、「野望を持ち続ける間」は、「この青さこの若さ」だと思っています。

この世界、米丸師匠は90才を超えましたが、未だに新作落語を作り続けておられます。
「この青さこの若さ」だと思います。

だから年齢でなく、世間一般の野望ではなく、咄家独特の野望を持ち続ける間は若いし、青春かと思います。

野望内容は皆様々。
そして野望内容はあまり咄家同士で共有しない笑

野望は共有出来ない。

ただ、特例がある。

それは個々の咄家がユニット、グループを組んだ場合だ。

早い話、別に組んでなくても、自然、グループになった、一門だ。

一門は各一門ごとに野望があるかもしれません。

林家の若手?中手?笑には、野望はある。

だから、若手か。笑。

まず何よりもわたしは、最優先は一門の結束、これは必須。

次ははなし処かな。

とはいえ、とにかく、一門優先はわたしは譲れない。
それは一門は自然、ほしのもとに集まった、これは、家族ですから。

まずは一門。

そしてはなし処だ。
いままだはなし処の打ち合わせが続いている。
ここにはここのわたしは野望がある。

まあ、とにかくね、いいんだか、悪いんだか、野望の掛け持ちのわたしはまだまだ「この青さ、この若さ」からは抜けられない笑。

歌の方は、歌手・作詞家・作曲家、当時野望の三人衆がおりました。

歌唱・水原弘「この青さ、この若さ」です。
2017.02.12 Sunday | comments(0) | trackbacks(0)-

あゝそれなのに

第1867回・この人、この歌

〜美ち奴〜

先日いただきました、「永遠の戦場」、もう二回ほど観させていただいた。
やっぱりあの世界、落ち着くんです。

第一次世界大戦のフランス戦線を舞台に描いたのがこの作品であります。

ただ、やっぱりこの頃の映画ってのは、節操がないことが決してないので、ちゃんとただの戦争映画だけに拘るほどの安易さはない。

もちろん、いまの映画の凝り方や技術センスの高さ等々いろいろとあるでしょうが、いやいや、ハワードホークス監督の描きようは、いまの映画にハマる人たちはなんといふだろうかね…
古くさい、つまらない、はたまたせこいとでも言う人が出てくるかしらね…いまのこれでもかと言わんばかりの演出や、あと、わたしにはスクリーンが綺麗過ぎてどうも…笑
あと爆音連発…

んー、もちろん、そういうのばかりでなく、大作、名作はいまも素晴らしきかな、生まれている映画世界において、いよいよをもってハワードホークスの感覚をもっともっと知っていただきたいなあと思うんです。
今朝もまた観ました笑

筋でなく、あの空間をかけておくのが非常に気持ちよくなるんです。

映画はBGMだ、と言った方、昔おられましたが、間違ってもいないかな、とも思います。

映画でBGMになるなんざ、かなりの名作のみかと思います。はい。

とにかく、いただいたお客様には感謝感謝です。

さて、土曜ワイド劇場の撮り溜め解消がやっと昨日で終了しました。
ご苦労様でした笑

嬉しいシリーズを思い出しました。
そうねえ、懐かしいなあ、「市毛良枝の美女探偵シリーズ」、全6作ありました。
第一作、昭和60年前後の放送でしょう。
タイトルが凄いんだ…
タイトルを申し上げる前に、これは、土曜ワイド劇場、夜9時から放送していた普通のサスペンスです。

「市毛良枝の美女探偵シリーズ〜ダイエット殺人事件、レオタード熟女の危険なプレイ!!美人トレーナーが…」

いや、これ、なんとなくダメでしょ笑

ハワードホークスさん、助けてください!笑


しかし、昔の土曜ワイド劇場は、いわゆる二時間サスペンスの醍醐味をちゃんと継承しています、お色気も含めて笑

お色気といえば、鶯芸者歌手のみなさんの登場です。
戦前の流行歌の世界、うれにうれた歌手といえば、美ち奴でしょう。

美ち奴って歌い手さんの歌は二時間サスペンスに合います。
ハワードホークス「永遠の戦場」が封切りされたころのヒット曲です。

美ち奴ここにありを示した、彼女の代表作にもなりました。「あゝそれなのに」です。


二時間サスペンスも昔の良きわかりやすさと突っ込みどころの演出、どうか、継承していただきますように…
フィルム撮影時代の土曜ワイド劇場は、本当に生々しい、ドラマにぴたりと合うわけです。

「市毛良枝の美女探偵シリーズ」、是非とも。
内容がね…笑
いいのかよ、夜9時から放送して…って箇所がふんだんに織り込まれますが…笑

あゝ、それなのにそれなのにねえ、観たくなるんだから不思議なものです。
2017.02.11 Saturday | comments(0) | trackbacks(0)-

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