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黒いコートの女

第1939回・この人、この歌

〜織井茂子〜

今日は、はなし処は、私なりに円歌師匠に喪にふくしたつもりです。

黒紋付袴で、教わりました「西行」を口演しました。
落語って決めて上がるもんじゃないけど、この芝居は「西行」は意識しますね、どうしても。

黒紋付袴、これは私は気にします。
やはり、そういう気分ですから。
咄家ってのは、こういうところをちゃんとしなきゃいけないと思います。

ただ、高座では円歌師匠に触れません。これも本職としては当然で、お客様は楽しみにいらしているところにそういう話はダメです。
またそれを言わないことをこの世を去った師匠方はのぞむものです。

いわゆる辛気くさいってやつです。

あと、芸人気質は絶対に不謹慎でなければいけません。
楽屋の話じゃ、お客様には決して言えない笑い話も円歌師匠で出来ています。

そうなんです、自分もそうですが、悲しみに悲しみを重ねて芸人を送るものほど世を去った芸人は喜ばない。
わたしもそうです。

たけ平がくたばったことを是非とも皆が楽屋ネタにして面白可笑しく笑ってみんなで話してもらいたい。
これが芸人がこの世を去るとき、みな思う共通認識です。

それは決してその人をバカにしたりしているわけではない。
それが生死と芸人の宿命と義務でなければいけません。
しかし、みな、円歌師匠の死去は悲しい他にありません。
楽屋でバカ話をしてどっと笑い、しかし、どこかでそれはその亡き人に対して寂しいからしているんだ、とします。

だからわたしは黒紋付袴で高座をつとめ習ったネタをやりました。

それもまた喪にふくしていますし、楽屋で円歌師匠の面白話やエピソードを馬鹿馬鹿しく語り、どっと笑う。
これも芸人ならではの大切な喪にふくす行事なのです。

それが見送る者も見送られる者も芸人ならではの当然の喪であります。

世間的に不謹慎な喪のふくし方をなぜするのでしょうか?

それは芸人見送られる者も見送る者も「おいおい、そんなマジになるなよ、照れるじゃねえか」

円歌師匠の言葉が聴こえてきそうです。

決して不謹慎ではなく、それがわたしが選んだ商売なんです。

いまは生の円歌師匠を聴くことが出来ませんが、是非とも今一度、「中沢家の人々」や「浪曲社長」聴いてください。

そして大いに笑ってください。

黒紋付袴ってのはなかなか引き締まるものです。

わたしなりの流儀です。

「黒いコートの女」歌唱は織井茂子さんでどうぞ。
2017.04.26 Wednesday | comments(0) | trackbacks(0)-

お吉物語

第1938回・この人、この歌

〜天津羽衣〜

三遊亭円歌、逝く。

わたしは今朝、ある方からの連絡で知りました。

人は死ぬんだ、と思った瞬間です。

先年の円蔵師匠がお亡くなりになったときと同じ衝撃を円歌師匠で受けてしまいました。

円歌師匠の訃報、各局、随分、やってます。

お昼のNHKニュースを先ほど観ましたが、元気な円歌師匠の生前のインタビューが随分放送されていましたが、それを観れば観るほどつらいものでした。

我が落語界の損失です。
大きな損失であります。

人間ですから、いつかはこの時が来る、それは今までお亡くなりになった師匠方と同じ、仕方ないのですが、これでもう、落語協会では金馬師匠だけになってしまいました。

円歌師匠は、歌奴時代から売れに売れ、円蔵師匠同様、落語は知らないけど円歌は知っている。
そういう大スターのポジションで君臨してまいりました。

落語が好きなお客様の中で、その落語家は有名、それはそれでよいことですが、我が落語界で、いま必要なのは、円歌師匠のような方です。

円歌師匠って、ずっと生き続ける人かと思いました。
円歌・三平で一時代を築いた。
そんなレベルじゃない、映画の主演にテレビのバラエティー番組など、本当にマスコミの寵児として、君臨してまいりました。

大スターの死去は、悲しいを通り越して、つらいんです。

いま、テレビを観ないようにしています。
元気な円歌師匠を観るのがいまはちとつらい。

わたしが入門したときの落語協会会長はまだ円歌師匠でした。

円蔵師匠とは親戚一門ですから、個人的思い出が多かった。
円歌師匠は他一門ですから、円蔵師匠ほどの思い出が少し少ないのですが、いえいえ、わたしは本当に思い出が円歌師匠にも幾つかございます。

まず、円歌師匠とご一緒になることは多かった。
同じ協会でしたから、寄席でよくお会いしましたが、それ以外でも脇の仕事でもずいぶんご一緒しました。
ご一緒したところを挙げるには多すぎて挙げきれないくらいです。

水戸のホテルの落語会があり、これが、円歌師匠とわたしと歌扇さんの何故か三人だけの落語会がありました。
なぜわたしが間に入ったのかいまもわかりませんが笑
水戸から帰り、スーパーひたちでビールをご馳走になりました。

あと、上野鈴本演芸場の昼席のトリが円歌師匠で、わたしが立前座(その芝居で一番上の前座)でした。
円歌師匠がトリの立前座、わたし、ずいぶんやりました。
トリが終わり、打ち上げが伊豆栄でしたね。
伊豆栄のVIPルームみたいなところがあり、円歌師匠といえば伊豆栄とのお付き合いが強く、そのVIPルームみたいなところに行きました。
そこでカラオケで円歌師匠の「お吉物語」を聴いたことがあります。
好きな歌なんですって。
円歌師匠といえば、浪曲にずいぶんと傾倒されていましたから、思い入れのある一曲なんだと思います。

セリフのところが本当にしびれました。

わたしが最後にお会いしたのが結構、前になってしまいます。

たまたまお会いする機会がなかなか無かったんです。
最後は去年の5月1日です。
といふのは、去年は私の真打披露興行があり、また、口上に理事の師匠方が連日並ぶのですが、たまたま私の時に円歌師匠は1日も当たらなかったのが、無念ですね、わたしは。
ただ、いまの新真打さんと違うのは、わたしが真打になったときはまだ円歌師匠お元気でしたから、わたしの日以外は結構、寄席の口上に並んでくださいました。
で、去年の3月20日に真打披露、お世話になります、と、湯島のご自宅に私ご挨拶に行ったときに、「明日からがんばれな。ただ、わりいな、お前のときはたまたま並ばないから、たぶん、金馬さんだと思う」と、円歌師匠言ってくださったのです。
ちゃんと誰のときに自分が口上並ぶのか、わかっていました。
しかし、五人の合同真打披露パーティー精養軒では、祝辞を述べていただきましたし、まだまだお元気だと思いました。
わたしは真打になるとき、まだ大スター円歌師匠がお元気だった、これは財産であります。
わたしはお会いしませんでしたが、最後の寄席出演は今年の初席、上野鈴本演芸場でした。
去年までは初席、浅草、鈴本、東洋館と三ヶ所出ておられただけに、あれ?どうしたんだろう、鈴本だけとは…と思いましたね。

「本当の爆笑王はうちの親父ではなく、円歌師匠です」、と、言っていた、わたしの師匠の言葉を思い出します。

受けない円歌師匠を見たことがなかった。
談志師匠が、円歌師匠があまりにも受けるので、円歌師匠の「間」を習得しようと何度も何度も円歌イズムを体に叩き込んでみたが、出来なかった、って話をよくされていました。

大スターとの思い出って、ほとんどがこういうところに書けないことばかりなんですよ…笑

ただ、わたしは本当に円歌師匠には感謝しなきゃいけないことがあります。

それは、2つ。
まず1つは、「西行」と「白髭橋」をお稽古つけていただき、教えてもらったこと。練馬区民寄席の楽屋でした。
わたしの世代では、円歌師匠に教わった人は皆無かもしれません。
これからこの2つのネタは益々わたしにとり大切なネタになると思います。

そしてもう1つは寄席で連日、地噺をやっていたとき、「あんちゃんはこれでいいんだよ」と言われ救われました。
果たしてわたしはこれでいいのか、地噺ってのは必ず悩むときがまちまち来るのです。
そして円歌師匠ほど寄席で「寄席ってのは同じことをやり、それを磨き、寄席芸にするものだ。なんでもネタが多ければいいってもんじゃない。寄席ってのは毎日同じでもいい」
落語といふものをメジャーにメジャーに、あくまで初めて来たお客様が心から笑う処である、を、高座で若手にしめしてくださった偉大なる大スターでありましたね。

円歌師匠の死去を若手は本当に考えなきゃいけないと思います。
落語といふものを「大バコ」(より一般的なもの)と、とらえた最後の方だと思います。

代表作「授業中」は、円歌師匠だからこその傑作で「山のアナアナ」の落語の中でのギャグが全国的に流行語になるってのは本当にすごいこと。
先代三平師匠の「どーもスイマセン」は落語のギャグではないのです。
落語の噺の中の1フレーズが全国的に流行るっていかにこの噺が大ヒットしたかを表します。
無いことですね。

「浪曲社長」「月給日」「肥満小型」と数々の新作で爆笑王をほしいままにし、また昭和四十年代からは「中沢家の人々」といふ大傑作を発表しました。
一時間にもおよぶ大作は、寄席では、箇所箇所を演じていました。
また後年には「御前落語」「駅員時代」「昭和の名人たち」など私落語の基礎を築いた重鎮であります。

また「中沢家か…」と寄席のお客様が思っても確実に受けさせる、なかなか無い名人でありました。

落語協会の会長であったとか、お国から賞を貰ったとか、そういうクローズアップではなく、落語家がタレントとして一時代を築き、紅白歌合戦や、映画やテレビ、ラジオで大々的に活躍された三遊亭円歌の功績を称えていただきたいのです。
何故なら、落語を面白く、それは落語家個人個人がもしかしたら、できるかもしれない、しかし、落語家がタレントとして、落語を知らなくても円歌は知っている、これは真似できないことの驚異をちゃんと若手は心に刻まなければ、せっかく落語といふものをメジャーにしてきた円歌師匠に失礼であるのではないか、とわたしは思うのです。

落語家三遊亭円歌は、物凄い方でしたが、タレント三遊亭円歌は、雲上人だったこと。
リアルタイムで知らない私らが接していても、ただの重鎮じゃなかったことを、わかるはずです。

昔売れた人ではなく、最期まで売れ続けた人なんです。
落語界でスターになるんじゃなく、大衆のスターだった、それをちゃんと後世に伝えていきたいと思います。
円歌師匠の名言があります。
「いまの若手は売れているんじゃなくて、ただ忙しいだけ」

これが大スターだったからの有難い言葉で、わたしは忘れられません。

円歌師匠のご冥福をお祈りいたします。
落語界が芸能界だった。
その損失はあまりにもショックです。
2017.04.24 Monday | comments(0) | trackbacks(0)-

なのにあなたは京都へゆくの

第1937回・この人、この歌

〜チェリッシュ〜

京都を代表する歌謡曲ってのも多い。 長崎、横浜、東京あたりも多いが、京都もなかなかである。

歴史や、観光、そしてカルチャー等、日本をクローズアップする場合、京都は欠かせない。

京都が圧倒的なものを調べてみたら、なんとまあ、私が大好きな二時間サスペンスが圧倒的に京都舞台が多いので驚いた。

京都を舞台にしたサスペンスの次に多いのが温泉地を舞台にしたサスペンス、それと鉄道・駅を舞台にしたサスペンスと、わたしはこれを勝手に「三大サスペンス」と呼ぶ笑

京都・温泉・鉄道

この3つのキーワードがあればなかなかのサスペンスが観られるだろう笑

京都はその一角を担うんだから大したものだ。
シリーズものの京都を舞台にした有名な二時間サスペンス、藤田まこと主演「京都殺人案内」と片平なぎさ主演「赤い霊柩車」シリーズがまず浮かぶ。
前者のシリーズが30作以上、後者のシリーズが35作以上だとしてもざっとこの2つのシリーズだけで、京都を舞台にしたサスペンスは60作以上になってしまう。
それ以外にも京都を舞台にしたシリーズはたくさんあるし、単発の二時間サスペンスを全部入れたら、京都サスペンスは多大なる作品数となる。

山村美紗さん原作で単発も随分放送されるし、京都サスペンスはサスペンス界では大所帯である。

先日観ましたのが昭和62年放送、土曜ワイド劇場「京都化野殺人事件」。

京都は様々な箇所がクローズアップ出来るのもまた作品世界が広がるゆえんだろう。

化野、ってだけでちょいと気になる。

ちなみにこの作品は、主演が山口果林、山城新伍。わたしが観ないわけがない笑
何においても京都はなんとなく上位にランクインする。
しかし、わたしの廻りでは、京都は最下位に近いランキングを知っている。

東京の落語家が都道府県、各地仕事で行く回数ランキング。といふのがもしあったら、京都はかなり下位だろう。

かくゆうわたしも過去三回しか京都で「仕事」はしていないのだ。

数えられる、って凄いですよ笑

丸太町の私の独演会、喬太郎師匠の独演会のゲスト、べ瓶さんの独演会のゲスト、計三回である。

なーんて、今日、京都を舞台にしたサスペンスを観ていたら、思い出しました。
東京の落語家にとって、京都は皆さんと同じ、「観光」、「旅行」に行く町であるのはかわりないですね。
歌はチェリッシュで「なのにあなたは京都へゆくの」をお送りしましょう。
2017.04.23 Sunday | comments(0) | trackbacks(0)-

時の流れに身をまかせ

第1936回・この人、この歌

〜テレサテン〜

昨日は、人生初の蕎麦打ち体験してきました。

もしもお水とあえずにいたら
そば粉は一体どうなってたでしょうか〜
麺棒だけど誰に渡し
苦痛の伸ばししてたでしょうか〜
時そばは小さんにまかせ〜あなたのそば粉に染められ〜百度の熱湯それさえ捨てても釜は無い〜
だからお願い〜蕎麦を茹でてね〜
居間はあなたしかいないから〜

なんて、下手くそな替え歌を考えながら食べる蕎麦は旨かった。

充実感は無き技術をカバーするのであります笑。


落語も同じかと。好きな噺ってのは、すんなり覚えられる。
しかし、好きな噺でも日々仕事に追われたり、生活に充実感がないと、それすら欠如の的になるのであります。

日々の仕事もいいが、もちろん有り難いし、ただ、噺と「取り組む」何かが、どうしても欠如しがちになる。

その精神的バランスがなかなか難しい。

たのしんで取り組める高座が一番良いのです。
わかっているんですがね…なかなかうまくいかないところが商売の難しさでしょうね笑

蕎麦打ち、わたしはなかなかの苦労ものでしたが、いやはや、ハマる人はこりゃハマるなあ、と思いましたよ。

いちいち凝るところが日本人お好みな感じがしました。
男性に人気ありそう、蕎麦打ちって、と実感しましたね。

何事も経験、経験。

テレサテン歌唱「時の流れに身をまかせ」です。

まもなく小田原に到着し、車迎えにて国府津へ向かい独演会ですー。

素敵な週末をお過ごしくださいませ。
2017.04.22 Saturday | comments(0) | trackbacks(0)-

青い背広で

第1935回・この人、この歌

〜藤山一郎〜

寄席にご来場したとき、「え?このネタなんてネタなんだろう」、と、思う方もいるかと思う。

古典落語なら、わからなくても必ず正式な演目があるから判明する。
しかし、新作であったり、はたまた漫談までにちゃんと演目があるのです。

ただし、漫談調のものは、前座さんが名前を付けて、非常にセンスある名前だとそれが代々伝わり、いつしか、このネタの正式名称になっちゃうのである!

その傑作が「やまのあなあな…」で一斉風靡した、いまの円歌師匠、当時は歌奴師匠、の、「授業中」だ。
この「授業中」といふタイトルも前座さんがネタ帳を付けたときのセンスから生まれた。

元々は「国語の時間」とか「学校にて」なんて、その時、その時で前座さんが記していたものが、ある前座さんがネタ帳に「授業中」と付けた。

確かに「授業中」、こんなスマートな上手い演目名はない。
こいつはいいや、ってんで、全国的に流行った円歌師匠のあの「やまのあなあな…」は「授業中」といふ名前になった。

あと、4月中席、上野鈴本演芸場にご来場いただいた方は、川柳師匠のあの軍歌オンパレードの高座をご覧になったかと思う。
ネタ帳には「ガーコン」と記される。
これは、後半、親が古い脱穀機を出してきてガーコン、ガーコン、ガーコンと作業する風が出てくる、あの音から「ガーコン」。
「ガーコン」って付けた当時の前座さんのセンスの素晴らしさに脱帽だ。
ちなみに時間的に脱穀機までやらない場合は、ネタ帳には「当世音曲噺」とか「歌で綴る太平洋史」なんて書かれる。

またまた円歌師匠だが、いま一番有名な円歌師匠のネタと云えば、何人ものお年寄りが出てくる噺、「中沢家の人々」だ。
この「中沢家の人々」ってタイトルもなかなかのセンスで素晴らしい。
「中沢家の人々」も途中で切る場合は、「G&B」なんで書かれる。
「G&B」、つまり、「ジジイアンドババア」である笑。
これを付けた方も本当にセンスが高い。

馬風師匠の漫談、最近やっている時事ネタ漫談は楽屋のネタ帳には「男の井戸端会議」とある笑
これも上手いですよ。
まさに毎日起こる話題を話している、「男の井戸端会議」、素晴らしい名前です。
また最近おやりにならなくなったが、馬風師匠ご自身が落語界の中で段々出世していくことを喋る漫談は「会長への道」。
歴代名人の方々の思い出を喋る漫談のときは「天国名人会」とか、みーんな、代々の前座さんがつけたタイトルだ。

志ん朝師匠が漫談だけで降りるとき、山田吾一さんに自分が似ているといふ内容の漫談、あれを「山田吾一」といふタイトルだと思っている方も多いがあれは「男の勲章」といふ、前座さんがつけた良い名前がある笑

先代三平師匠の一連のリズム落語は、漫談だけど歌があったりするリズム調だから、春だったら「春の唄」、夏だったら「夏の唄」なんて、唄ってところがセンスがいい。

小朝師匠の男女についての漫談、「男と女」、わたし、これ、非常に好きなタイトルだ。
実にシンプルだけどこれ以上分かりやすいのもないし、その上、綺麗ときている。

とにかく、タイトルってのは大切で、また、その人のセンスが問われる。

「青い背広で」なんて素晴らしいタイトルの唄ですよね。

このタイトルだけでなんとなくワクワクするし。

なかなか長いタイトルで良いものをこさえるのが難しい。
木久扇師匠が彦六師匠の思い出を語るのが「彦六伝」。シンプルでいいタイトル。
ただし、この噺の中で長屋の部分をクローズアップしての高座は「落語長屋は花盛り」と長いタイトルになるが、なかなかに素敵な前座さんのネーミング。
また、彦六師匠が選挙の応援に行ったときの噺をクローズアップしているときは「明るい選挙」ってタイトルになる。

こういう風に我々全落語家が認識している元々無かったのにいまあるタイトルはかなりのヒットであり、まだまだいまタイトルがまちまちで確定していないのが大半である。

しかし、こういう確定したタイトルの凄いところは、「落語長屋は花盛り」とあるだけで、どのへんの内容をやっているのか、他の同業者がわかるところだ。

ネタ帳ってのは、内容がわからないとまたダメなわけでして…その落とし所がうまく、そして洒落ているタイトルってのはやはり残るんです。

「青い背広で」、この先どうなるんだろう、そのワクワク感がまた青い背広って名称が爽やかだし、たまらないのであります。

永遠の青春の歌声、藤山一郎の戦前のヒット曲です。
2017.04.21 Friday | comments(0) | trackbacks(0)-

ネクタイ屋の娘

第1934回・この人、この歌

〜古川ロッパ〜

最近、またロッパの随筆を中心に読み返している。

古川ロッパって喜劇人は日本を代表するエノケン・ロッパのあのロッパである。
わたしはロッパが大好きである。
実に東京らしいスマートな芸で芝居や映画やドラマや流行歌に声帯模写に漫談に文筆、等々、様々な面を持ったなんだろう、元祖タレントの高度な文化人も兼ね合わせた天才だろうと思う。
ただ、実際、同じ時代を生きていたら、ましてや、芸能の世界に同じくして身を投じていたら、果たしてロッパをどうみたであろうか。
様々なロッパの記述や記事を見れば見るほど、怖いのだ笑

人間性が怖い笑

しかしながら、誰も真似できない天才の極みであろう。
すぐにカッとなるし、しかし、弱者には優しい一面もある。
食べ物への執念物凄く、また他人の芸を見まくり、本を異常に読み、他の芸能にも造詣が深く、自分の芝居の評が記事になると、その評論家の記事を評する笑

場合によっちゃ喧嘩だわね笑
現実に喧嘩腰の記述も多い。
映画を愛し、芝居を愛し、役者なのに、寄席の高座も上がり、漫談や声帯模写の1席もやる、歌のレコードも多い。
地方巡業も物凄く、好きなものは好き、嫌いなものは大嫌い、とハッキリとあらわす。

しかし、戦後、それが仇となるかの如く、ロッパから人が離れていく悲しみの晩年が病と仕事量の減少で待っているのである。

芸人につきものの、良い時と悪い時。
他人事ではない。

晩年のロッパは、あの大スター古川ロッパか、と思うくらいに淘汰されてしまうのが、芸能ファンのわたしには辛く苦しいのだ。

歌い手、佐藤千夜子の晩年をふと思い出してしまう。
戦前の声帯模写の音源を聴いたり、流行歌や映画でのロッパは日本を代表する大喜劇役者だとすぐにわかる。
しかし、晩年の声帯模写の高座の1席を聴いたことがあるが、お客様の盛り上がり、え?あのロッパを迎える雰囲気か?と我が耳を疑うくらい、大衆には、懐かしすぎるくらいの過去の人を迎える体勢であるのが聴いていてわかるだけにつらい。
「ロッパさんってまだご存命だったんだ…」
の空気なのだ。

エノケンの名言「芸人は同情されたらおしまい」

これは私らいまを生きる芸人にもダイレクトに通じる戒めだ。

わたしは、どういう状況に置かれてもいついつまでも謙虚でいたいと思う。

いまが良くても悪いときは必ずあると覚悟しないとこの商売はやっていけない。
威張りに威張り、寄席に戻ってきたときに我が居場所は無くなるのである。

よく昔から歌い手さんや、役者さんは、過去の方となっても、はくがつき、貫禄や過去の栄光がまた我が財産になるといふ。

談志師匠が三橋美智也さんを「声が出なくてもいい、三橋さんがいるだけでいい」
これが見事に成立するのが、歌い手さんの世界である。

しかし、一切それが通じないのが、いまもむかしも、芸人の世界だ。

先日ご紹介した、お笑い三人組の猫八先生の「覆水盆にかえらず」の座右の銘は、まさに芸人共通認識である。

つらい世界だが、取り返せない世界、それが芸人の世界だと思います。

しかし、ロッパはそれに大打撃を受けたがやはり、未だにエノケン・ロッパと言われるわけだから、やはり大スターであるとわたしは思います。
また、先代三平師匠が好きなところが好き笑。
あくまでスマートな芸、ってのは憧れます、はい笑

さあ、大スター、ロッパの歌声でおやすみなさい。
2017.04.20 Thursday | comments(0) | trackbacks(0)-

あの夢この歌

第1933回・この人、この歌

〜二葉あき子/霧島昇〜

いま上野鈴本演芸場と浅草演芸ホールに出演中の4月中席です。
上野鈴本演芸場の今の出番のところで昨日は「紀州」をやってみた。
良いんです。つまりどういうことかといふと、わたしの今の出番がトリの方の3つ前。
いよいよ寄席も佳境のところだ。
有難い出番です。
で、この位置の「紀州」はいいなあと思いました。
この噺って後半の後半からサゲまではあまり笑わさない方がよい、つまり、しめるところが噺にはありますが、「紀州」は珍しいタイプで、サゲ間際のところからサゲまでがしめるところ。
だから、ガチャガチャしないで次に渡しやすいんです。
しめてサゲる、「紀州」は近年あまりやらなくなったから今まであまり気がつかなかったんです。

寄席ってのはやはり勉強になります、はい。


そういえば、最近、むかしよく行っていた店で食事をしようとしている。

といふのは、こうやって寄席に入ることが続くと、その前後に仕事や用事を入れるようにしていて、どうしたって、昼飯は外、といふことになる。

ちょっと、好きな店、よく行った店を思い出してみる。
あくまでわたしが好きな店回顧。人の舌はそれぞれですから。

上野はね、トンカツが多いんですよ、わたし。武蔵野によく行った今も行く。井泉もよく行く。二葉も良かったが今はどうなっているのか。
上野には良い中華料理屋で二三太郎って店があった。ここで最初に食べたときなんて旨い店なんだろうと思ったが、次に行ったら残念無かった。
小満ん師匠とも二三太郎は行ったなあ。いい店だった。
円蔵師匠と行くとほとんど天麩羅の天庄が多かった。こりゃもう黒門町が天庄でしたから、わかる。

わたしが子供のころ、上野で特別なときに行ったのが鰻「亀屋」、洋食は「黒船亭」と「さくらい」だ。
3軒とも咄家になっても行くようになるとは思わなかった笑

むかしね、亀屋の上に、マザーズオブかまくらって店があって、わたしはよくそこに鉄板焼たべに行ってました、名店だったなあ。

浅草で好きな店は、まず、ヤキカツの桃タロー、下町の味。それからゴロゴロ会館の方にいまは無き、大坂屋レストランがあった。
いろんな洋食がある町だが、わたしは大坂屋、良かった。
浅草って沢山ありますでしょ?咄家らしい店も。でもそういうはあえて抜くと桃タローかな笑

駒形どぜうは、もう当然素晴らしき。
鰻はむかしね、色川って店があって、抜群でしたよ、親父さん亡くなって閉めたのが惜しい。レベルが高過ぎましたからね。
初小川って鰻屋さんも好き。
味噌豆のお稽古をお願いされ、稽古したあとは必ず初小川に連れていく。
味噌豆をちゃんとメニューに置いているから。

飯田屋のどぜう、有名だけど、あそこの鰻も旨いんだ。

池袋、あんまり、わからない。ジュンク堂って本屋の脇入ると大好きな武蔵野うどんがある。あそこ、武蔵野うどんで一番すき。
よく小円鏡兄に会いましたよ笑
あと池袋演芸場の近くにある中華料理屋さん。肉炒飯ってのが旨くてね、わたし、よく土産にしました。さめても旨い。いまは知らない。
新宿は、イマイチわからない。
あまり新宿で食べないで、どこかに移動しちゃうから。
ロールキャベツよく食べましたよ、アカシアって店。わたしはすき。

寄席をぐるりとやりましたから、国立演芸場もか笑
半蔵門ですね、わたしの中の最高は天麩羅のいな菊だ。
鮎が泳いでいる状態で揚げられた姿、なかなかない。
さあ、ここから地域めちゃくちゃ、思い出すままに行こう。
トンカツゆたかにビーフシチューのぱいち、ともに浅草。
ビーフシチューって言えば銀座の銀之塔、あゝ、銀座に入りました。
イタリー亭、雰囲気から吸い込まれた、あとお馴染み煉瓦亭か。
よし田のコロッケそば、すき。志ん朝師匠もすきだったそうな。
スイスのカツカレーは発祥。
蕎麦は西新井の若竹と、恵比寿の香り家が抜群にすき。
群馬沼田のおかばやしのうどん。
銀座の天龍の餃子。通ってたときはいつでも入れた。いまや行列、しかもチェーンも多い。

新松戸のラーメン屋、極太。川越の小川菊の鰻。埼玉吉川の鰻もすき。
浅草米久のすきやき。
日暮里の馬賊のラーメン。
銀座の菊鮨、抜群。柳橋の天麩羅、大黒家。
天丼なら浅草のまさる。
森下にあるさくら鍋に、日本堤にあるさくら鍋。

まだまだキリがない。いまも定期的に行く店あり、ご無沙汰な店あり、残念ながら無くなった店あり。

あの店この食

あゝ、長崎の…
キリがない笑

食と店は味を楽しむ、雰囲気を楽しむだけでなく、自分が何故はじめにそこに行ったのか、そして、そのときの自分はどんなだったのか、思い出回顧になります。

歌は戦後の作品、「あの夢この歌」歌唱は霧島昇、二葉あき子のご両人であります。
2017.04.19 Wednesday | comments(0) | trackbacks(0)-

フランチェスカの鐘

第1932回・この人、この歌

〜二葉あき子〜

セリフを言うのと、セリフを語る、この違いが実に難しい。
セリフを語るってのは、落語的方法。

これで慣れていると、セリフを言うのが実に難しい。
いまフジテレビ「もろもろのハナシ」といふバラエティー番組のナレーションを担当している。

5月一杯までは私の予定です。
今日もナレーション撮りに行ってきた。

ナレーションは、セリフを言うんですね。
語るんじゃない。
この「言う」といふのが、世間的には語るより安易な感じもしなくもないが、職業柄、どうしても語ろうとしてしまう。

そこはおさえて、「言う」に極力とどめるが、非常に難しいなあ、と思うんです。
例えば、ラジオは語る、言う、どちらもその状況に応じて構わないし、また、言うのが苦手なら、語るで違和感ないような全体的もっていきかたをすれば語るでもストンとくる。

しかし、ナレーションっていふのは、やっぱり「言う」が最良かと思います。

テレビのナレーションの場合、VTRに合わせて、ペースや間も変わる。

つまり、コンマ何秒で画面にピタリと合わせてとっていくので、語る暇がない。
また、語っても画面には合わないのです。

また、箇所箇所自分の感情を入れないといけないが、あまり感情を都度入れて読むのはご法度。
それはスタジオでVTRを見ながらリアクションをするタレントさんの仕事を奪ってしまうからだ。

あくまでセリフを言うことにより、一見、事務的に聞こえても、そのくらいでないと、スタジオのタレントさんがリアクションしにくいわけであります。

ナレーション一言一言にわたしの感情を入れてリアクション並みに話していたら、スタジオのタレントさんは何をワイプでぬくのかの意味が問われてしまうのであります。

といって、終始、平坦といふわけにもいかない。

その「塩梅」が実に難しいのであります。

今回の番組のナレーションは、基本は終始、声を「張る」のが良さそうであります。

バラエティー番組といふ「明るさ」、また、お若い方が中心にご覧になるといふ点でも「張る」くらいがオンエアではちょうどいいとのこと。

わたしのような素人には毎度、難行であるが、それでも心掛けているのは、どんな仕事でも真摯に取り組みたい。
一生懸命やる、それのみであります。

セリフ入りの歌ってのが沢山ありますよね。

東海林太郎「上海の街角で」「すみだ川」とか、藤島桓夫「月の法善寺横丁」、鶴田浩二「傷だらけの人生」、金田たつえ「花街の母」、高峰三枝子「湖畔の宿」、島倉千代子「東京だよおっかさん」、まだまだきりがないが、二葉さんの「フランチェスカの鐘」はセリフは女優の高杉妙子さんが入ります。

なんでも、そのあと、セリフ無しで改めて発売されたと聞くが、わたしは個人的にはセリフ入りも好きです。
最初聴いたときは驚いた笑
すごいセリフだなあ〜と。
セリフを「言う」か「語る」か…あと、「話す」ってのもある。

んー、ナレーションは「言う」かな…またナレーションの類いにより違いますが。
どんな商売でも簡単なものはないっていふ、ひじょーにありふれたまとめでおやすみなさい笑
2017.04.18 Tuesday | comments(0) | trackbacks(0)-

小指の想い出

第1931回・この人、この歌

〜伊東ゆかり〜

今日は春日井にて独演会。
色物のゲストで、動物物真似の江戸家小猫さんをお願いしました。

やはり、江戸家といえば「鶯の谷渡り」でございます。
いまの小猫さんも今日も抜群の鶯の谷渡り。

いろいろと楽屋や電車でお話できて良かったです。

ひいおじいさんの初代の猫八先生の話や、おじいさんの猫八先生の話、そしてこの間の猫八先生の話、いろいろと知らないことを聞けて貴重な時間でした。

そしてやはり「鶯」への想い、これは江戸家代々の大切な芸の継承。

江戸家の「鶯」は小指で鳴くこと。
これは本当に難しいと思います。

いまの小猫さんから今日聞いたのは、わたしは「鶯」ってのは、指の問題が重要なのかと思っていたら、他人の指を借りても鳴けるという。

いまの小猫さんは、お父さんの猫八先生に幼いころ、指を貸して小猫さんの指で猫八先生は鳴いたことがあったという。

これがやはりいまも感触として残っていて、どうすればいい音が出るのか、その感覚といふものを自分自身でわかるためには、自身の指で鳴いてくれたあのお父さんの感覚を思い出しながら芸を磨いてくようであります。
凄い世界ですよ、これは。
だから極論、指のかわりに海老でも種類によっちゃ「鶯」を鳴かせることが出来るそうだ。
海老の曲がり具合が指の曲がり具合と酷似していたら、海老で「鶯」を鳴かせることができる。

だから、指云々の問題ではないといふ。

こういうことは聞かないとわからない。

わたしなんざ、やっぱり、綺麗な鶯が鳴ける素晴らしき指の持ち主で、指に磨きをかけているとずーっと思っていた。

わたしは前々から危惧している、先人へのリスペクト。
小猫さんにはそれがちゃんと備わっていて、当たり前だが、誰にも負けない、まさに江戸家本流、本寸法の動物物真似第一人者であります。

初代の猫八先生、つまり、ひいおじいさんの音源を私も聴いたことがある。
初代の猫八先生ってのは、お笑い三人組の猫八先生ではありません。
いまの小猫さんの、ひいおじいさん。

小猫さんに聞いたら、私が聴いた初代猫八先生のレコード音源はかなり良い状態のレコード音源らしい。

初代猫八先生のレコードは数種類あるらしいが、わたしが以前聴いた音源はまだ日本にレコードが無く、外国の方が日本に来て、猫八先生の音源を録り、それを外国に持ち帰り、外国で作成したものだから、非常に音質がいいやつのようです。
お笑い三人組の猫八先生と先年亡くなられた猫八先生にいたっては音源は勿論、売れっ子のお二人でしたから、かなりテレビの映像も多く残されている。

その中でこのお二人の親子競演高座もたくさん映像に残っている。
今日、小猫さんに聞いたら、中でも出来が優れている親子競演映像は、意外や意外、先代猫八先生がおなくなりになる前年の笑点での猫八・小猫(当時)の高座が抜群だったようだ。

確かにお二人が出演したのは覚えている。
確かあの時期、笑点は、二十世紀の演芸名人特集で毎週やっていて、ウクレレ漫談の牧伸二先生や、東京コミックショー、円歌師匠の落語などを大喜利の前に放送していた。
あの時期の猫八・小猫競演が良かったといふのは演芸ファンのわたしには意外である。
だいたい歌の映像も最盛期にはかなわない。

しかし、あの競演は、先代猫八先生がもうお年で、フワフワって進めていく中で、当時の小猫先生が、突っ込みながら、丁度良いほんわかさを見事に醸し出していたとのこと。

本流の方に言われたんだから改めて見てみたい映像だ。

あと聞いて面白かったのは、初代猫八先生当時は、全国に勝手に「猫八」を名乗り、商売していた輩がいたこと笑。

わたしは勿論見たことないが、当時のチラシを保管されている今の小猫さんに聞くと、当時の地方のチラシには「江戸家猫八のニセ猫退治」と銘打っているチラシがあるという笑

地方で本物の猫八先生が名乗っている猫八と対決をして、ほら、俺が本物の猫八だと、舞台で競ったってんだから、面白い。

いまの小猫さんはちゃんとリスペクトしながら我が芸も磨いておられて、わたしは本当に脱帽の一言しかございません。

そんな小猫さんと共演する会が今年5月31日に池袋演芸場で開催されます。
是非とも東京の寄席色物の本流、江戸家の芸を寄席で味わってくださいませ。
5月31日、ご来場ご希望の方はhayashiya_takehei@yahoo.co.jpにお名前と枚数を明記の上、送信お願い致します。
チケット手配いたします。

たくさんの「小指の想い出」を聞きました。
歌は勿論歌唱・伊東ゆかりさんの登場であります。
2017.04.17 Monday | comments(0) | trackbacks(0)-

俺たちの旅

第1930回・この人、この歌

〜中村雅俊〜

今日は上野鈴本演芸場、お休みをいただいております。
今日は春日井の独演会です。
春日井の今回の会場では定期的に東西の落語家が呼ばれ、独演会形式のお仕事であります。

今回は私の回でして、二回目。
物真似の江戸家小猫さんをゲストに迎えてこれからわたしは二席申し上げます。
前回、呼ばれたときは、曲芸の仙志郎兄をゲストにお迎えしました。

今回もたくさんのご来場のようでありがたい限りです。

方面としては、割合行く方なのですが、やはり、乗り換えとか間違えないようにとドキドキします笑。

いまは便利で携帯で乗り換えなど全部出ますし、わたしの携帯でもそれが出てくるわけだから、ありがたいです。
とはいふものの、わたしは必ず地方のときは、新幹線だけで終わらない場合は、携帯で出てきたものを、乗り換えや時間、ルート順序を紙に書いてポケットに入れて外にでます。

どうも携帯だけだと不安で仕方ない笑

考えてみたら、携帯の内容を私が紙に写す時点でかえって危ないのに笑

どうしてもそれをやらないと心配で心配で笑

まだまだ携帯を信用出来ない人間でございます笑

いま名古屋で乗り換えまして、瑞浪行の快速に乗りましたが、ちゃんと高蔵寺って駅で止まるのかどうか、駅員さんに聞いちゃうんだから、うーん、どうもメカが信用ならない。

お客様に様々なところに行けていいですね、なんてよく言われます。

本当に様々なところに行く仕事です。

が、情けないのは、何も見てこないで東京にかえってくる、この悲しさね笑

名古屋も晴れ渡っております。
仕事でなく、旅行に出ましてもなかなかに良い陽気でございます。

今日、私の落語を楽しみにしてくださるお客様がいる限り、わたしはまっとうしてまいります。

わたしの落語をききにくることを今日の晴れ渡った貴重な休日に決めてくださったお客様、大切にしないわけがございません。

喜んでいただけるようにがんばるのがわたしら寄席芸人の旅でございます。

寄席や都内で高座をやる責任はもちろん強いですが、地方公演の責任はまた違った責任があります。

まあ、はっきり言うと一発勝負!!!

これで落語初体験のお客様の落語の印象が決まっちゃうんだから、いやはや、責任たるや凄いですよ。

こういう、寄席芸人、俺たちの旅もずいぶんしてきました。
まだまだ行っていない地域もたくさんございます。

一人でも多くの方が落語に触れられますよう、精進していきたいです。

どうでもいいが、この快速の中で小猫さんにお会いできるかと思ったがいないから、別車両か、違う電車か、こちとら不安でキョロキョロと…不審人物に間違われないようにしましょう笑
歌の方はドラマ主題歌で大変に当時の若者の青春に多大なる共感を与えた「俺たちの旅」歌唱・中村雅俊であります。
2017.04.16 Sunday | comments(0) | trackbacks(0)-

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